第79章―6
そういった観点から、対明帝国戦争計画が、日本を中心として後金国やモンゴル帝国の各軍部が連携して立案されることになって、この閣議の場で概要が説明された。
そして、その計画は、史上空前といってよい大計画になるのは避けられなかった。
何しろ、それこそ人口的には世界最大の大国である明帝国に攻め込むのだ。
もし、泥沼と言って良い遊撃戦、ゲリラ戦が明帝国内で展開されるようなことになっては、それこそ攻め込んだ側である日本や後金国、モンゴル帝国側が疲弊してしまう。
幾ら質的には圧倒的に優勢な状況で、明帝国に攻め込むとは言え、日本を始めとする諸国が対明帝国戦争を躊躇うのも、当然のこととしか言いようが無く、少しでも成功率を高めようと大計画になっていくのが当然としか言いようが無かった。
まず、日本の陸海軍の基本方針を言えば、長江流域の制圧をまずは目指すことになった。
とはいえ、奥地までいきなり攻め込むようなことはしない。
基本的には上海や南京周辺だけを抑えることになっていた。
本来からすれば、更に攻め込むべきかもしれないが、日本軍の量的問題(幾ら自治領の将兵も投入できるとは言え、約10万人を対明帝国戦争に投入するのが精一杯)から、そうせざるを得なかった。
後金国軍の基本方針も、それとそう変わらなかった。
皮肉極まりないことだが、日本の影響を受けて、空軍を創設し、陸軍の機械化を進めたことが、後方部隊の増大を招き、更にそれによる前線兵力の低下を招き、中国本土への大規模な侵攻作戦を困難にする事態を引き起こしていたのだ。
こうしたことから、万里の長城を越えた後は北京周辺を確実に抑えて、現実(史実)からいえば河北省周辺のみを抑える方向で、後金国軍の戦略、作戦は立てられることになった。
その一方で、モンゴル帝国軍の戦略、作戦は放胆極まりない、といえるモノになった。
これは皮肉にも歩兵、騎兵の小銃等の火力こそ高まっていたが、それ以外の面においては機械化、自動車化がモンゴル帝国軍では全く進んでおらず、そういった点で後方部隊が少なくともそれなりに戦える状況にある、と言うのが大きかった。
こうしたことから、モンゴル帝国軍は既にチベットまでもほぼ抑えているといって良い状況にあったことから、現実(史実)でいえば、四川省や雲南省への侵攻作戦を立案、実行しようとすることになった。
実際問題として、これはこれで明帝国政府最上層部に与える衝撃が極めて大きい、と考えられるモンゴル帝国の作戦であった。
何しろチベットという大軍の通行が困難な地形がある以上、四川省や雲南省にモンゴル軍が攻め込む等は不可能、と明帝国政府最上層部を占める面々の多くが考えている筈だからだ。
そうした点から、奇襲効果が多大なモノがある、とモンゴル帝国軍上層部は考えて、日本や後金国の軍上層部もその考えに同意する事態が起きたのだ。
そういった裏をある程度明かした上での織田信忠海相からの閣議における説明は、閣僚達の対明戦争に対する姿勢を前向きにした。
それこそ明帝国に対して、四周から侵攻作戦を発動することで、明帝国の逃げ場を失わせようという史上空前の戦略、作戦が用いられることになる。
更に言えば、衛星通信までも駆使できる(この世界の)現在の技術進歩は、外線勢力が完全に連携した上での戦争を可能にしているのだ。
「皇軍来訪」以前であれば、このような大戦略を立てても、完全に画餅としか言いようが無く、却って各個撃破の好餌になって当然だったが、今では十二分に実行可能になっており、むしろ内線側である明帝国側の方が技術劣勢等から、各個撃破の好餌になるのが閣僚にも分かるようになっていた。
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