第2章ー5
順番等、どのように描くか、色々と悩んだのですが、まず、ブルネイ方面の結果を描いて、皇軍が現在、把握できた世界の最新情勢を描いて、沖縄(琉球)方面の結果を描くことにしました。
そんな会議が、12月17日の間、ほぼ丸一日かけて行われた末に、皇軍、大日本帝国陸海軍は、第一目標とされたブルネイ、及び沖縄(琉球)に向けて動くことになった。
なお、何故にある意味、台湾を飛ばして、沖縄(琉球)に向かうことになったか、というと、多くの皇軍上層部にしてみれば、明治初期に行われたいわゆる台湾出兵、また、日清戦争後のいわゆる台湾平定の悪夢が、頭を過ぎらざるを得なかったからだった。
上記のいわゆる2つの戦役において、皇軍は多大なる戦病死者を出してしまった。
勿論、この原因は、当時の医学知識、技術の限界という側面もあるので、単純にはこの当時の皇軍の軍医が無能だったとは言えないのだが、何しろ、医薬品の補給も事欠くというのが、現在の皇軍の惨状なのだ。
そういったことからすれば、鬼門といえる台湾は後回しにして、沖縄(琉球)に向かうべし、という意見が皇軍上層部で強まるのは当然の話だった。
また。
皇軍の下士官兵の想いというのもある。
台湾を飛ばして、沖縄(琉球)に向かうことができるのなら、先に沖縄(琉球)に向かうべきではないか。
そうすれば、少しでも早く故郷である日本本土に還れる、そういう想いを抱く下士官兵は多かったのだ。
更に言えば、琉球弁を話す人間がいた、ということも皇軍内に早速広まりつつある。
多くの皇軍の下士官兵にしてみれば、全く意味不明の台湾語(この辺り、細かいことを言い出せば、何をもって台湾語というのだ、台湾に元々住んでいた住民の話す言葉なのか、それとも中国本土から渡来して台湾で広まった中国語系の言葉を指すのか、という論争が起きかねないが)を話す台湾よりも、日本語の方言である沖縄(琉球)弁を話す沖縄(琉球)へと速やかに向かうべきだという、ある意味、越鳥南枝に巣くい胡馬北風に嘶く、という想いを抱く者が多々出るのは、当然の話だった。
そして、皇軍上層部の表立っては口に出せない思惑もあった。
この当時、台湾には史実通りならば、有力な国家、勢力は存在していなかった。
更に言えば、マニラにいた交易商人の情報から、台湾は史実通りの現状にある、と推察された。
それに対し、沖縄(琉球)は、マニラにいた交易商人の情報によれば、史実通りに琉球王国の統治下に、少なくとも沖縄本島は置かれている、と推察されていた。
ということは。
沖縄本島を統治している琉球王国と交渉、又は屈服させて、日本の統治下に入ることを同意させれば、皇軍が日本本土に向かう際の重要な根拠地が速やかに手に入ることになる、という思惑があったのだ。
更に沖縄本島には、既にそれなりの人が住んでおり、逆に言えば、ある程度は人が住みやすい様々なインフラがある程度は整備されているという利点もあると考えられた。
これに対し、有力な国家、勢力のいない台湾は、史実通り、人が住みやすい様々なインフラが整備されておらず、いわゆる瘴癘の地にある可能性が高かった。
こういったリスクも考えられた結果、ある意味、台湾を飛ばして、沖縄(琉球)へ、皇軍は向かうという決断が下されることになったのだ。
そう言った事情から、ブルネイへ、沖縄(琉球)へと皇軍の一部は、マニラから向かって行った。
実際には、同時並行的にブルネイ、沖縄(琉球)に皇軍は向かったのだが、まず、ブルネイ方面の結果から述べると、予想外に上手く行った結果と、上手く行かなかった結果が併存することになった。
まず、上手く行った結果から述べるならば、ブルネイ王国との交渉、日本領化は、重巡洋艦2隻等の日本海軍の武威もあり、マニラ同様に速やかに受け入れられた。
ブルネイの王族は、生命財産を保障されたことから降伏した。
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