第77章―5
ともかくそういった背景事情もあったことから、伊達政宗が新規の女性の衆議院議員候補者を公募した場合、それなり以上の反響が、大日本帝国全労連等から起きる事態が起きた。
実際問題として、いきなり女性の衆議院議員候補者に自薦、他薦される事例が多数起きることはなかったが、例えば、休職して各県労連における組合専従者となっていたり、又、労農党所属で県議会議員を務めていたりした女性が、衆議院議員候補者に志願する例が、それなりに日本本国内で出る事態が起きたのだ。
こういった女性について、伊達政宗を始めとする労農党執行部の面々自身が面接した上で、素質を見極めて衆議院議員候補者にする事態が多発することになった。
勿論、既に衆議院議員になっている面々に比べれば、こういった女性候補者の見識等が劣っているのが殆どと言っても過言では無かった。
だが、そんなことを言いだしたら、それこそ古来からある
「今どきの若い者は、儂の若い頃に比べたら云々」
という話と同じようなことになる。
新しい候補者が若くて経験が乏しいのは、ある程度は仕方のないことなのだ。
そういった事情から、外部どころか、本来ならば味方になる筈の一部の労農党、上は衆議院議員から下は末端の党員に至るまでから、
「そんな候補者を集めても、結局は単なる人寄せ、人気投票になるだけだ」
という批判を受けることになる。
だから、労農党執行部としても、こういった候補者を指導し、鍛えていく必要を感じざるを得ない。
それこそ党首の伊達政宗自らが、政策等について、直にこういった候補者を集団で集めて、時には自らも参加した上での議論を交わして、候補者の見識等を高める努力を行うまでのことをした。
又、具体的な選挙区での候補者に決まったら、いわゆる挨拶回りを、そういった候補者は選挙区の有力な個人、団体に対して行うことにもなった。
そうした際には、積極的な懇談を行うことを具体的に指導するようなことまで、労農党は執行部から具体例を挙げてまでして、候補者の質向上に努めることになった。
とはいえ、偏見というか、無意識の内にある差別というのは、本当に厄介で、さしもの労農党どいえども、悪戦苦闘することになった。
それこそ出る杭は打たれる、というのが古来からの日本の悪癖である。
(諸外国でも同じだ、といわれる方も、それなりどころではなくおられるが)
「できる限り、女性は家の中に居ればよい」
「積極的に女性が政治の世界に飛び込むのはどうなのか。織田(三条)美子や島津亀寿のような烈女が増えては、日本の古き良き家庭が壊れるのではないか」
又、そう陰では言う有権者が、それこそ男性どころか、女性の中にもそれなりどころではなくいる(この世界の)日本の現実がある。
だから、そういった有権者からすれば、労農党の新規の女性の衆議院議員候補者というのは批判的な目で見られることになり、却って一部の有権者から、労農党の支持を失う事態も引き起こした。
こういった事態を、労農党内の反執行部派は批判したが、伊達政宗は、時には剛腕を振るってまで、そういった批判を押し潰した。
特に、一律に女性だからダメ、というような声に対しては、厳しい態度を執った。
何故なら、そういった声を潰そうとしないと、労農党は男女差別を内心では支持しているのではないか、それこそ女性候補者を集めようとしているのは、単なる人寄せの為ではないか、という声が、それこそ当の女性候補者からも上がりかねないからだ。
伊達政宗は、ある程度は割り切らざるを得なかった。
改革を行おうとすれば旧来の支持者等を失う覚悟が、どうしても必要不可欠だ。
そう覚悟を固めるしかないのが現実なのだ。
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