第75章―14
そんなラプソディが、トラック基地の各所では行われた末。
描写がどうしても相前後せざるを得ないが、1611年5月28日、徳川千江が14歳になり次第、日本の皇太子、政宮殿下との御成婚式が行われることとなり、1611年5月に入って早々、6個の放送(通信)衛星は相次いで打ち上げられて、静止衛星軌道に投入されることになる筈だったのだが。
実際にはどうなったか、というと。
「6個の放送(通信)衛星の製造は無事に完成して、地上での最終試験も無事に成功しました。念のための予備の放送(通信)衛星も、日本が1個完成させて、地上での最終試験も終えております。又、地上での最終試験は無理ですが、北米共和国も何とか1個準備できるとのことです」
「ふむ、ということは、万が一の打ち上げ事故があっても、何とか対応できそうだな」
上里秀勝長官は、放送(通信)衛星を打ち上げる前の最終調整を行う会議の場で、参加者達とそのような会話を交わしていた。
「ですが、(人工衛星やロケット等の)制御班として申し上げるならば、静止衛星軌道への放送(通信)衛星投入は、今回は見送っていただけないでしょうか。念のために、準備されていた予備の同期軌道に放送(通信)衛星を投入すべきです」
「何故だ」
制御班の統括責任者から上がった声に、上里長官はやや不機嫌な感情を込めた声を挙げた。
上里長官とて、そのような声が制御班から上がるのは予期していた。
そして、その理由が自分でもよく分かってはいたが、それでも内外の事情(この場にいる製造班や軌道計算班等に対する説明から、各国政府やマスコミへの対応等もせねばならない)から、やや不機嫌な声を挙げざるを得なかった。
「制御班は、事情が事情だけに急きょ各国から人を集めたために、組織としての連携がまだまだ不十分な状況にあります。それに言語の問題もあって、咄嗟の際の意思疎通が困難です」
「確かにそうだな」
制御班の統括責任者の言葉に、上里長官は同意するような声を挙げた。
何しろ半年も放送(通信)衛星の打ち上げを前倒ししようというのだ。
ロケットの打ち上げ計画にしても、大幅に見直さざるを得なかった。
更に立て続けにロケットを打ち上げることになった、といっても過言では無く、そうは言っても、これが一時的な状況というのは自明と言って良かったので、日本や北米共和国、ローマ帝国が独自に保有しているロケット基地から、ロケットや人工衛星の制御を行っている人員がかき集められ、トラックに集結する事態が引き起こされていた。
そうはいっても、各国の経験者が集められたので、全くの素人を集めるよりは遥かにマシな組織を、この半年程で作り上げることができてはいた。
(その代わりに、各国のロケット基地では、閑古鳥が大量に鳴くことになった。
制御人員がいない以上、ロケット打ち上げを全面休止するしかない、という事態が起きたのだ。
そのために各国のロケット基地を当てにして出来ていた周辺の街は、半年余りの大不況の嵐に遭遇することになり、この事態に怨嗟の声を挙げることになったとか)
とはいえ、世界初の静止軌道に、放送(通信)衛星を滞りなく、それも6個も投入できるか、というと多くの現場の制御員が不安の声を挙げるのも止むを得ない事態だった。
そうしたことから、少し難易度が下がる予備の同期軌道に、放送(通信)衛星を投入すべきだ、と制御班は主張する事態が起きていた。
(尚、この予備の同期軌道計算の必要性についても、事前ではかなり揉めることになった。
軌道計算班にしてみれば、更なる負担になったからである。
最終的には、上里長官が直に乗り出して、準備が為されることになったのだ)
この辺りの理系知識が、文系人間の私は極めて怪しいので、緩く見て下さい。
ネットで情報収集をそれなり以上に私としては行ったのですが。
同期軌道への人工衛星投入を行わずに、いきなり静止衛星軌道への人工衛星投入は、かなり難しい、と私は考えました。
(実際に史実でも同期軌道への人工衛星投入を成功させる経験を積んだ上で、静止衛星軌道への人工衛星投入が成功したとか)
ご感想等をお待ちしています。




