第75章―5
思い切り、趣味に奔っていますが、余談に近い話という事で、どうか生暖かくお読みください。
この北米共和国による北極点到達は、世界の探検への熱を急に高めることになった。
日本が未だに成し遂げていなかった北極点到達を、北米共和国が成し遂げたことは、北米共和国の国威を高めることだ、と北米共和国が積極的に喧伝し、それが日本やローマ帝国等の国内にまで伝わったことから、日本やローマ帝国の政府上層部が、世界の探検にそれなりに投資しようという機運が起きた。
そして、次の目標に成ったのが、南極点だった。
とはいえ、この時に圧倒的に有利だったのは、日本だった。
豪州大陸や南米大陸、南アフリカ等、南半球は完全に日本の勢力圏にあったと言って良かったのだ。
もっとも、だからこそ南極に却ってこれまでの日本は冷淡な態度を執っていた。
何しろ年中、雪と氷に覆われているといってもよい南極大陸である。
更に言えば、「吠える40度、狂う50度、絶叫する60度」と謳われる強風域が、南極大陸到達を阻む存在として立ち塞がっているといってもよい。
そんな強風域を越えたとして、南極大陸にまでたどり着くことで得られる利益は乏しい一方で、そこにたどり着いて、拠点を築くとなるとそれなりどころではない資金や資材等が必要不可欠だ。
(更に余談に近いかもしれないが、南極大陸にたどり着く船舶にしても、砕氷機能を有する等の特別仕様にしないと安全性が保障できない)
そのために、流氷が流れる北太平洋対策の為に砕氷船を、日本は開発、建造していたが、南極大陸に赴くことを、日本はずっと考えておらず、又、日本が赴かない以上、他の国にとって南極大陸は未知の大陸のままという事態になっていた。
だが、北米共和国が北極点到達を果たしたことから、日本は態度を急変させた。
官民一体の協力により、1601年夏に北太平洋仕様の砕氷船を転用することで、南極大陸への到達に日本は成功した。
更に越冬と南極点に到達するために飛行場や港湾設備まで備えた基地を建設した。
そこで、1年近くを過ごした後、白瀬大尉を隊長とする南極点到達を目指した選抜隊3人は犬ぞり3台を利用し、南極点に向かった。
リキ、タロ、ジロを各そりのリーダー犬とし、樺太犬39頭によって編制された犬そり隊は、2月近くを掛けて南極点に到達、更に好天に恵まれたこともあって、3月余りで基地まで全員が生還することに成功した。
尚、北極点到達と同様に南極点到達を記念して西堀中尉によって撮影された航空写真が、証拠として世界に公表され、世界を熱狂させることになった。
そして、このことで日本の国威は大いに発揚されたが、ローマ帝国にしてみれば、当時、モスクワ大公国への侵攻、反乱鎮圧に追われていたこと等から、止むを得なかったこととはいえ、臍を噛むしかない出来事でもあった。
そのために、今や人類最後の秘境となったといえるヒマラヤ山脈のエヴェレスト山頂に、何としてもローマ帝国は初登頂を何れは果たしたいというのが、それこそエウドキヤ女帝以下、ローマ帝国全体の悲願となっていた。
北米共和国が北極点に、日本が南極点に到達した以上、エヴェレスト山頂に到達するのはローマ帝国であるべきだ、という主張をローマ帝国政府上層部が公然とする有様だった。
だが、それは余りにも遥かな路でもあった。
何しろインド亜大陸はムガール帝国等によって、徐々に日本の文物を受け入れて、いわゆる文明化を果たしつつあったが、そうは言ってもヒマラヤ山脈の麓となると、まだまだ未開の地だった。
チベットに至っては、言うまでも無い状況で、文明から取り残されていると言っても過言では無い現状だった。
だから、未だにエヴェレスト山頂どころか、その麓さえ処女地と言っても過言では無かったのだ。
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