第74章―21
伊達政宗と宇喜多秀家の将来を見据えた労農党の拡大構想の話し合いについて、広橋愛は第一秘書としての事務仕事をしつつ、聞くともなしにその内容を聞き、又、頭の片隅では様々な今の日本の現状を考えていた。
政宗の認識は正しい。
今の男性中心の日本の社会を下手に維持しようとしては、却って色々と歪な社会になって、いざ変えようとするとますます大変なことになるだろう。
そうなると早め早めに政治家は先を見据えて手を打ち、社会を変えようとする必要がある。
そのためには女性の政治家、議員を増やそうとするのは、極めて効果的だろう。
実際に現場、社会の声を聞いて、それに合うように政治、社会を変えるには、現場にいる人が政治、社会に関わって、政治家、議員になる方が、遥かに効率的、効果的だ。
労農党もその傾向が無いとは言わない(例えば、木下小一郎の甥にして娘婿の木下秀次が議員を世襲している)が、保守党も中国保守党も議員は世襲が当然と考えているようで、世襲議員が圧倒的だ。
こうなっては、現場、社会から外れて、現場を知らない議員ばかりになりかねない気がする。
養父母を始めとする周囲の話を聞いたり、又、今回の選挙で戸別訪問等をして有権者の声を聞いたりして、改めて自分も考えていることがある。
今の家中心、男性家長中心の社会を、今の日本が何時までも維持できるとは自分には考えられない。
実際にそれから外れた人が、日本社会では少しずつ増えている。
そして、それから外れた人は死んでしまえば良い等、色々な意味で人として頭の片隅にさえ浮かんではならないだろう。
だから、そういった人も暮らせる社会に変えていかざるを得ない。
私がこの国、日本に来たときに、本当に驚いたことの一つが、既婚の女性と言えど、積極的に働いているのが珍しくないことで、そうなった最大の原因が北米独立戦争だったとか。
更に言えば、積極的に働くことで自活している女性が、日本では徐々に増えている。
そして、更には皮肉なことに私もその端くれと言えるのだろうが、母一人の稼ぎで子どもを育てる人が、今の日本では徐々に増えてもいる。
かつては家制度の前提等から、離婚するとなると、父の下に子どもが残されて、母一人が家から出ていくのが、日本では当たり前だったとか。
だから、細かいことを言えば違うが、私の義祖父の上里松一の先妻の永賢尼が子どもを後妻の愛子に託し、愛子は先妻の子を養子に迎えたのも、当時の日本では当たり前のことだった。
だが、その一方で、実際の話、ある程度の自立ができるような年齢に子どもがならないと、これまでずっと外でひたすら働いていた父が、いきなり子どもの面倒を十二分にみられる訳が無い。
「皇軍来訪」以前、というより北米独立戦争以前は、そういった場合、父方祖母や父方伯叔母等が面倒を見ればよい、と多くが考えられていたようだが、そう都合の良い親戚がいる人ばかりではない。
他にも色々と事情が絡み合い、離婚後は母が子どもを引き取る事例が徐々に増えていったとか。
そして、離婚した後、母が外で働き、子どもを育てるのが、今の日本では当たり前になっている。
そして、外で働く女性が増えると、子どもを預ける場所等が必要不可欠になる。
そうしたことから、保育園や学童保育所等が徐々に増えていき、市町村立で整備されたのだ。
実際に私もその恩恵を受けていて、養子の正之を保育園等に預けて働くことが出来たのだ。
そんな風に徐々に女性が外で働きやすくなっている。
だが、それが働く女性の視点からして、既に充分なモノになっているのか、というと。
私も含めて、多くの働く女性が不充分だと叫ぶのは間違いなく、変える必要があるのだ。




