第74章―3
話が横にズレ過ぎたので、元の場面に戻すと。
「ともかく今更、過去のことを悔やんでも仕方がない。こまめに演説を行い、又、戸別訪問をして、などと地道に活動をして、有権者の支持を広げていき、他にもできることをやって、当選を目指すしかない」
伊達政宗は腹を括ったように言い、その言葉に伊達愛子や広橋愛、国分盛重ら、その場にいた全員が肯くことになった。
「ところでだ。例の新幹線計画については、どう労農党というか、お前は考えているのだ。支持者達からも問い合わせが来ている。それによって、支持するかどうかを決めるという者までいるぞ」
国分盛重が言った。
「その件ですが、正直に言って悩ましい問題です。実際にユーラシア横断鉄道は、世界的な大計画ではありますが、日本国内では余り響かない計画の筈でした。しかし、保守党が、友党の中国保守党を支援するためもあって、新幹線建設計画を打ち出すとは」
「取り敢えずは、京から大坂を経て山陽本線沿いに、今のところは博多が終点という建設計画だったな」
「そうです」
政宗と盛重はやり取りをした。
さて、(この世界の)新幹線建設計画だが、どのようなことから立案されたのか、というと。
「皇軍」がもたらした知識、技術を基にして、この世界の様々な技術は発展を続けており、鉄道もその一つだった。
更に言えば将来を見越して、この当時の日本が「皇軍」知識、技術を独占していたこともあって、標準軌でこの世界の日本の鉄道は、徐々に建設されていくことにもなった。
その結果として、今では日本の主要都市、具体的には各県庁所在地をそれなりに結んだ状態にまで、日本国内の鉄道敷設は進んでいる。
だが、これは裏返せば、様々な支線網の建設がそう進まない事態も、この世界では引き起こしていた。
そもそも論になりかねないが、「皇軍」が標準軌での鉄道建設に拘ったのは、遥かな将来において戦車等の重量物を鉄道輸送することを見据えてのモノだった。
これはこれで正しい判断と言えるが、標準軌で鉄道建設を進めるということは、史実の日本が行ったように狭軌で鉄道建設を進めるのと比較した場合、どうしても鉄道建設には費用が掛かり、鉄道建設が進まないという事態を引き起こすのだ。
更に言えば、標準軌で鉄道を建設して運行するとなると、狭軌で鉄道を建設して運行するのと比較した場合に、必然的に様々な費用が余分に掛かる事態が起きるのは当然としか、言いようが無かった。
そんなこんなが相まって、日本国内では鉄道整備が(史実よりも)進んでいなかった。
その一方、この世界の日本は首都を京に構えており、様々な事情が絡み合った結果、山陽道が第一の幹線、次が東海道という事態が現在までに起きていた。
何だかんだ言っても、日本本国にしてみれば、東アジアからインド洋へ、更には欧州からアフリカへ、という交易路の方が、南北米大陸や豪州等への交易路よりも儲かる現実があった以上、それに伴って、山陽道がこの世界では第一の幹線になるのは、ほぼ必然だったのだ。
そして、山陽道と並走するような形で山陽本線が建設されていき、更には関門海峡トンネル建設まで行った末でのことになったのだが、1600年になるまでに京から博多へ、更に熊本を経由して鹿児島まで鉄路が通じることになったのだ。
(尚、この際に少しズレた話をすると。
この京から鹿児島まで鉄路を通じさせるというのは、それこそ島津義久元首相から島津亀寿現副首相まで通して行われた薩摩県出身者を中心とする九州の衆議院議員全体の事業になった。
無事に鹿児島から京まで初めての直通列車が鹿児島から発車するのを、島津義久らは涙を流しつつ見送る事態が起きたのだ)
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