第10章ー10
日本と朝鮮、明が全面戦争に突入した。
とはいえ、それは非正規戦闘、非対称戦争が完全に繰り広げられるものだった。
何故かと言えば。
辻政信将軍が喝破したように、
「支那事変で我々は懲りたからな。その反省を十二分に生かして、倭寇による襲撃に日本は専念する」
という態度に、日本側が徹しており、これに対して、朝鮮、明側はどうにもこうにも有効な対処策を講じられなかったからだ。
日本側の具体的な作戦、戦術と言うと。
倭寇を日本の手先として組織だった密輸を行い、それに対処して取り締まろうとする朝鮮、明の官憲を攻撃して、密輸を自由に行い、それによって、戦費を稼ぐ一方で、朝鮮、明を疲弊させる作戦、戦術だった。
また、その一方で、朝鮮、明の海上交通路を倭寇に切断させることで、朝鮮、明の国力の疲弊を積極的に誘う作戦、戦術でもある、
これはそれこそ、歴史的にも極めて有効な作戦、戦術だった。
ほんの一例に過ぎないが、史実でも「太陽の沈まぬ帝国」と一時は謳われたスペイン帝国を没落させたのは、英国の海賊作戦、戦術だったし、皇軍関係者の知識でも、第一次世界大戦時の独潜水艦部隊の猛威が刻み込まれている。
なお、これに対処する朝鮮、明側の作戦、戦術だが、基本的に2つの方法が考えられる。
まず第一が、極めて真っ当極まりない方法だが、倭寇の根拠地となっている日本を征服等して、完全に倭寇の根拠地を失わせるという方法である。
しかし、10倍の大軍をもってしても、倭寇の根拠地の一つに過ぎない対馬制圧に、朝鮮軍が大失敗する有様なのだ。
こうした中で、倭寇全ての根拠地となっている日本本土の完全制圧ができる、と考える程、朝鮮、明も考えが浅くはなかった。
だから、第二の方法を執ることになった。
しかし、第二の方法を取るにしても。
第二の方法は、こまめに密輸現場を抑えて、密輸の成功率を低下させ、いわゆる倭寇が引き合わない戦術である、と日本に認識させる、また、自国の海上交通路を保護する、という方法なのだが。
問題は、朝鮮の正規軍にしても、明の正規軍にしても、倭寇の装備する兵器に対して、その質が徐々に劣りつつあるという哀しい現実だった。
更には量においても劣勢であり、しかも、その差は開く一方という事態が起きるのだ。
1540年代の間は、まだまだ倭寇の主武装は、朝鮮や明の主武装とほぼ同じ、いや劣勢だった。
それこそ、火器を装備している倭寇は、そう多くはなく、日本が皇軍がもたらした知識により、量産化を始めたばかりの火縄銃を装備している倭寇等、極めて稀だった。
これは、日本軍のいわゆる銃兵化を、日本が懸命に進めている状況にあることから、倭寇にまで火縄銃を売る余裕がそうないことから起きた現象だった。
だが、このような状況は、そう長くは続かなかった。
1550年代に入ると、倭寇は銃剣を装着した火縄銃を徐々に標準装備とするようになる。
また、倭寇の船に(前装式に過ぎなかったが)ライフル砲まで、徐々に装備されるようになるのだ。
こうなってくると、旧式としか言いようが無い中国式の銃砲しか装備していない朝鮮軍や明軍では、倭寇の火縄銃やライフル砲に太刀打ちすると言うのは、極めて困難な話になってしまう。
せめて、朝鮮軍や明軍が内陸部に倭寇を引き込めれば、話はまた違ってくるのかもしれないが、その程度のことは倭寇は重々承知しており、決して、内陸部に踏み込もうとはしてこない。
逆に前進拠点として朝鮮沿岸では済州島、明沿岸では舟山島等を、倭寇は確保して要塞化してしまう有様だった。
朝鮮沿岸や明沿岸の制海権が、倭寇にある以上、朝鮮や明がこれらの前進拠点を奪還することは困難な話だったのだ。
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