第73章―15
さて、ヌルハチとリンダン・フトゥクト・ハーンの面談の進行につき、以下に要約して描くならば。
「日本の今上陛下は、同じ仏教を信じる者同士が相争うのは望ましくない、として戦を止めるように動かれたようです。更に言えば、チベット仏教をお知りになられたことで、更に仏教の深奥を相互に知るべきではないか、とも考えられているようです。如何、お考えになられますか」
「おお、それは素晴らしいことですな。仏教の深奥を相互に知るべき、と私も考えます」
ヌルハチの言葉に、リンダン・フトゥクト・ハーンは即答した。
1590年生まれのリンダン・フトゥクト・ハーンは、(史実同様に)1604年に父が早世していたことから、祖父になるブヤン・セチェン・ハーンの崩御に伴ってハーンに即位していた。
又、熱心なチベット仏教徒(ラマ教徒)であり、1608年時点でマイトレーヤ法王、チョネ・チョエジェらから深い秘密乗の灌頂などを受けている身でもあった。
そんな若者であるリンダン・フトゥクト・ハーンにしてみれば、仏教の深奥を相互に知るべき、との今上陛下の言葉は諸手を挙げて賛成するしかないことであった。
「さて、御存知かもしれませぬが、今の世界では、セイロン島のポロンナルワにおいて、主な仏教国やヒンドゥー教国が協働して相互の宗教について深奥を知るための研究の場を築いており、多くの仏教の僧侶がそこにはいます。その場にチベット仏教の僧侶の方々が、更に加われては如何か、と日本の今上陛下は、お考えとのこと。今もおられなくは無いのですが、極めて少ないようなのです。リンダン・フトゥクト・ハーン殿も、こういった研究に協力されては如何でしょうか」
「そのような場が、この世にあったとは。若輩の身故に、詳細を知らぬことでした。噂で聞いてはいましたが、偽りやも、とさえ考えていました。私からもチベット仏教の僧侶の方々に参加するように勧めて、又、私からも少ないながら、その場に寄進を行いたいと考えます」
ヌルハチの更なる言葉に、リンダン・フトゥクト・ハーンは、思わず頭を垂れ、両手を合わせながら、言う有様になった。
「後、御存知とは思いますが、仏教徒である我々からすれば、警戒すべきことが起きています」
「どのようなことでしょうか」
「キリスト教を奉じるローマ帝国が急激に東進を図っていることです」
「そこまで警戒せねばならないことでしょうか」
「考えが甘い、と言わせていただきます。ローマ帝国は敵に対して苛烈な行動を執ります。それはキリスト教徒の特質です。実際にセイロン島において、キリスト教徒が自らの教えを広めようとして、それこそ仏教徒に対して、武力行使を躊躇わなかった現実があります。日本等が介入して、セイロン島からキリスト教徒を追い出す事態まで起きたのです。キリスト教徒に対する警戒を怠ってはなりません。イスラム教(スンニ派)の信徒の方々も、オスマン帝国に起きた事態等から同意されることでしょう」
「何と」
ヌルハチとリンダン・フトゥクト・ハーンの話は、更なる深みに入った。
「この際、同じ遊牧民同士であることも訴えて、カザフ等にいるイスラム教(スンニ派)信徒の皆様との遥かなる連携を行ってでも、ローマ帝国の東進を警戒すべき時である、と私は考えます。日本も同じ仏教の国として、我々に協力を惜しまないでしょう。手を組みませんか」
「仰られる通りだと考えます。年齢が上で、そこまでのお考えがあるヌルハチ殿をアカ(兄)として、私は手を組みたいと考えます」
ヌルハチの言葉に対し、リンダン・フトゥクト・ハーンは頭を垂れて言った。
ここに後金とチャハル部の本格的な連携は成ることになった。
ヌルハチの対キリスト教徒発言に対して、
「そんなことがあったっけ?」
とツッコミの嵐が起こりそうですが。
史実でもほぼその通りと言っても余り間違いないですが、この世界でも主に第2部において、セイロン島等でポルトガルの軍事力を背景とした非キリスト教徒の虐殺、迫害が多発しており、日本の介入によって非キリスト教徒への虐殺、迫害が終結したという現実があります。
だから、この辺りもこの世界の現実を踏まえたやり取りで、キリスト教徒に対抗するため、という大義名分が掲げられれば、仏教徒やイスラム教徒、更にはヒンドゥー教徒が、対キリスト教徒大同盟を高唱して大同団結する現実が起こり得たのです。
ご感想等をお待ちしています。




