第10章ー7
朝鮮軍が対馬上陸を果たしてから3日目の朝が来た。
生き残った朝鮮軍の将兵は、最上層部から末端まで絶望していた。
ここまで自分達を運んできた船は、全て完全に骸を晒しているといってよい状態になっていた。
そして、自分達の視界の中に、健在な船は1隻もない。
つまり、祖国朝鮮に帰るためには、朝鮮海峡を泳いで帰るしか無いのだ。
このまま、ここに止まっていても、祖国朝鮮から救援が来る望みはない。
何しろ、船がない以上、祖国と自分達との連絡手段が断たれているのだ。
そして、祖国としては、便りが無いのは良い便り、と考えているだろう。
だから、どうにもならない。
対馬中を探して船を調達するか、船を建造するしかないだろうが、日本軍の妨害は必至だ。
更に言えば、軍船全てを失ったことで、糧食を始めとする多くの補給物資が失われている。
一体、どうすべきなのか。
朝鮮軍上層部は、激論を交わす羽目になった。
現実的な観点からすれば運を天に任せて、未だに本格的に姿を見せない日本軍に投降するしかなかった。
だが、投降したとして、その後の運命が明るいか、というと。
兵はともかく、上層部を占める将帥達は、昏い予感を覚えるしかなかった。
兵は運が良ければ、祖国朝鮮に帰らせてもらえるだろう。
悪くとも、日本で奴隷の身に堕ちるだけで、多くが殺されるまでのことはあるまい。
だが、将帥達は別だろう。
日本に侵略してきたとして、日本軍に処刑されるだろう。
格別の慈悲により、祖国朝鮮に帰れたとして、それが幸いになるだろうか。
祖国朝鮮に生きて還れたら、敗軍の将として処刑されるのではないか。
更には一族にまで累が及ぶ可能性がある。
その恐怖の想いから、中々、降伏論は将帥の間から挙がらなかったが。
兵の方が勝手に行動を起こした。
このままでは飢え死に等の運命が待っているだけだ、との恐怖感から、朝鮮軍の兵は、将帥達に襲い掛かり、ある将帥は殺され、また、ある将帥は捕縛されて、兵が主導することで、対馬に上陸した朝鮮軍は、日本軍に投降を申し出ることとなった。
この対馬に侵攻してきた朝鮮軍の降伏と言う結末は、島田中佐にしてみれば、有難いと言えば有難い結末だったが、この後始末に日本軍は苦慮した。
日本本土に無線で連絡を行い、更にその連絡を受け取った佐世保から、北九州各地に伝令を走らせる等することで、何とか北九州各地から船を出してもらって、食糧を運んで貰い、また、捕虜を北九州に移送することになった。
そして、尋問等を行ったうえで、捕虜全員を朝鮮に送還すべきだったが、その手段にも日本は苦慮することになった。
何故かと言うと。
日本と朝鮮は、朝鮮軍の対馬侵攻により、完全に戦争状態に突入したからである。
今上天皇陛下からは、速やかに日朝間の講和を図れないものか、との意向が示されたが、流石にここまでの事態になった以上、そう簡単に講和ができるものではない。
本来、穏健派の多かった公家、貴族の間でさえ、対馬に不当にも朝鮮軍が侵攻してきた、という情報が入って以降は、これは自衛戦争であり、朝鮮側が謝罪等するまで、日朝間の講和はすべきではない、という意見が急速に高まってしまったのだ。
講和ができずに戦争状態にある以上、捕虜の返還も中々難しい。
何しろ捕虜を積んで運ぶ船が攻撃される事態も、当然に起こるからである。
かといって、そう日本本土で捕虜を無為徒食させておくのも、日本の負担である。
更に捕虜の身体、精神状態もある。
そうしたことから、脱走を防ぐためもあり、比島に朝鮮軍捕虜の収容所は建設され、そこに多くの捕虜が移送された。
そして、農作業等の作業に捕虜は従事して、そこでしばらく生活することになった。
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