第72章―17
少し幕間めいた話になります。
そんな頭が痛い想いをしつつ、主と言える鷹司(上里)美子が、ローマ帝国の現在の首都といえるコンスタンティノープルに旅客機で向かうのに同行しながら、侍女と言うか、護衛を務める磐子は自分なりの考えに耽っていた。
磐子は「天皇の忍び」として、皇室に第一の忠誠を誓った身である。
だから、皮肉なことに美子に寄り添うことができていた。
「天皇の忍び」の頭領からも言われたが、皇室護持の観点から言えば、歴史的にも今上陛下は、「君臨すれど統治せず」であるべきだ、という五摂家の考えこそが正しく、今上(後陽成天皇)陛下の考えは誤っている、と磐子は考えている。
そして、皇室の将来のことを考えれば、頭領が言うように、五摂家との対立姿勢を強める今上陛下よりも、皇太子殿下に「天皇の忍び」は寄り添うべきだ、とも自分も考える。
だが、その一方で。
皇太子殿下の恋に溺れる姿を望見する度に、本当に「天皇の忍び」が、皇太子殿下に寄り添って大丈夫なのか、という懸念を自分はどうにも覚えてしまう。
もし、美子がいわゆる傾国の美女で、夫の鷹司信尚を殺して皇太子妃殿下に、更には将来の皇后陛下になろう、と美子が考えるような女性だったら、頭領から真実を闇に葬るために、後で自裁を命じられることになったとしても、磐子は独断で美子を殺すことを躊躇わなかっただろう。
だが、何とも皮肉なことに美子は、皇太子殿下の恋を完全拒絶して、別の女性、徳川千江を皇太子妃殿下に、将来の皇后陛下にしようと奔走している。
そういう姿を傍で拝見していると。
考えてはならないことだが、美子こそが皇后陛下に相応しいのでは、という雑念が、どうにも自分の心中で湧いてならない。
美子ならば、良い意味で政治以外のことに皇太子殿下の目を向けることになり、「君臨すれど統治せず」という政治体制を確立させて、皇室を安泰にできる、と自分は考えるのだ。
だが、それが本当に無理なのも、磐子は実感していた。
美子は夫の鷹司信尚を心から愛している。
かつて、自分は信尚の愛妾でよい、と美子は言ったそうだが、それこそ実母が外国人の元奴隷であるという自らの身を美子は弁えていたからだ、と自分は伝え聞いており、傍で仕える限り、それが真実なのだろうと自分も考える。
夫の鷹司信尚と離婚して、皇太子殿下との結婚等、美子は決して望まないだろう。
更に言えば、信尚と美子の間には二男一女の子が既にいるのだ。
そういった子どものことまでも考える程、美子が皇太子殿下と結ばれるのは無理筋だ。
磐子は改めて自分の家庭のことを考えた。
将来の「天皇の忍び」に選ばれた女性として、自分は10代半ばで結婚して家庭を築き、3人の子を相次いで産んだ上で「天皇の忍び」になった。
尚、夫も「天皇の忍び」である。
そんな感じで、「天皇の忍び」は夫婦で務めていることが多く、皮肉なことに実子を他人に預けて育てざるを得ない状況になる夫婦が多い。
それこそ忍びの任務上、子どもはある意味では任務に専念する際の妨げになるからだ。
そして、それを止むを得ない、と自分も夫も表向きは割り切っている。
だが、鷹司信尚と美子夫妻の傍に仕えて、夫婦で子どもを愛おしんでいるのを拝見すると、自分にしても迷いが出て来る。
任務上は赦されないのは分かっているが、やはり実子は自分の膝下で育てたい、という想いが湧き上がってくる。
それ位、信尚と美子は子どもを愛おしんでいて、自分もそうしたいと夢見てしまう。
磐子は「天皇の忍び」としては失格の想いだ、と自らも考えつつ、そんな想いが湧き上がるのを、どうにも自分でも止められなかった。
本当に皇太子殿下の縁談について、どう考えるのが正解なのだろうか。
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