第10章ー5
朝鮮軍にしてみれば、悩ましい事態だった。
対馬という敵国の領土に侵攻し、懲罰という名目で、略奪等を働いて、敵の住民の一部を拉致する。
ある意味、昔から行われて来た戦術ともいえる。
だが、対馬への上陸に成功したものの、上陸早々、住民等の姿は見えず、略奪に値する物資は奪えず、更に指揮官が狙い撃ちにされて死傷していくのだ。
指揮官が死傷した場合、当然のことながら、手当等を行わないわけには行かない。
兵なら放り捨てるという非常手段があるが、指揮官はそう言う訳には行かないのだ。
死んだら死んだで、それなりのこと、例えば、遺体の回収をしなければならない。
確かに敵の襲撃で死にました、その確認等がいるのだ。
しかも。
「明らかに日本軍の用いている火器、銃の性能は異常です」
対馬への上陸を朝に果たしてから、約半日後の昼下がり、狙撃から生き残っており、かつ負傷していない指揮官達は、兵の混乱を鎮めた後、頭を痛めながら、話し合う事態が引き起こされていた。
(メートル単位で朝鮮軍が話すのはおかしいのだが、分かりやすさ優先から、以下、それで描写する)
「銃を我々も持っていない訳ではありません。明から輸入したり、自前で製造したりしています。ですが、我々の銃は、それこそ数十メートル程度の射程に過ぎず、弓とそう変わらない射程ですが、日本軍の銃は数百メートル離れたところから、精確に狙撃を成功させているとしか思えません」
指揮官の一人が力説し、周囲の多くも肯いた。
「山狩りを行おうとして、山の中に入れば、ますます日本軍の狙撃の好餌となりかねません。山狩りを断念し、港湾設備を破壊して朝鮮軍の武威を知らしめましょう」
ある指揮官が提案し、そのように朝鮮軍は行動することにしたが、話し合いが長引いたため、結果的にその日の行動は、それで終わり、朝鮮軍は夜営に入ることになった。
だが。
朝鮮軍と言えど、無能ではない。
夜襲を警戒して、哨兵を立てる等の警戒を当然に行ったが。
「夜襲を警戒して、かがり火を焚くのはいいが、砲撃のいい的だな」
対馬には朝鮮軍の侵攻に対処するために、四一式山砲4門を装備した砲兵中隊1個と、九二式歩兵砲2門を装備した歩兵大隊付属の大隊砲小隊2個が、予め配備されていたのだ。
日本軍の砲兵は、かがり火を目印として、朝鮮軍に夜間に散発的な砲撃を浴びせた。
更に、哨兵等に対する小銃による狙撃も併せて行った。
朝鮮軍は、大混乱に陥った。
砲声を聞き慌てて、そちらに向かおうとすれば、狙撃が浴びせられるのだ。
慌てて、砲撃を避け、また、狙撃を避けるために、地面に伏せて、耐え忍ばざるを得ない。
朝鮮軍にとっての恐怖の夜が明けた時には、朝鮮軍の将帥の多くが、内心では対馬からの撤退を検討するようになっていた。
しかし。
「これだけの大軍を催して、侵攻作戦を発動したというのに、おめおめと一方的に損害を出したまま、撤退を行っては、臆病者とそしられるだけならまだしも、敗北の責任を取らされて、一族が酷い目に遭うのではないか」
そう考える余り、将帥は誰も自らは撤退を言い出さず、むしろ、会議の場では積極論が多数になった。
だが、こういった時の兵は正直である。
将帥が、積極論を唱え、進軍を命じても、兵は怯えてしまい、積極的な進撃を行おうとはしなかった。
遂には、一部の兵を命令不服従の廉でむち打ち等の処罰を加えることで、朝鮮軍は対馬平定のための進撃を図ろうとしたが、こういった会議のやり取りや処罰を加えるための手続き等にも、当然、それなりの時間がかかり、気が付けば夕闇が迫ろうとしていた。
このため、昨夜のような事態を避けるために明かりを消して、朝鮮軍は夜営に入ったが。
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