第72章―1 皇太子殿下の婚約
そんなことを尚侍の鷹司(上里)美子が考えていることを知る由も無く、今日も今日とて、現皇太子になる政宮殿下は側近と言える中院通村に愚痴っていた。
「尚侍を正妃、将来の皇后として迎えたい。何とかならないか。尚侍の従兄ならば何とかなるだろう」
「無理を言わないで下さい。尚侍は仮にも五摂家の一つを占める鷹司家の後継者の正室なのです。何れは諸外国からは鷹司大公妃と呼ばれる立場の御方なのです。更に夫の信尚殿との仲も良好で、先日、3人目の御子に恵まれたばかりです。そのような方との結婚等、文字通りに皇太子の地位を捨てる必要があります」
通村は懸命に政宮殿下を諫めたが。
その言葉は、結果的に火に油を注いだ。
「それならば、皇太子の地位を悦んで捨てても良い。尚侍と結婚できるのならば構わない」
「ええっ」
政宮殿下の言葉に、通村は絶句してしまった。
「そこまでの誠意を示せば、尚侍も私に靡くだろう」
14歳の男子として、恋に恋しているのか。
そんなことを政宮殿下は放言までした。
通村にしてみれば、頭が痛くなるどころではない事態である。
何しろこの場には政宮殿下と自分しかいないから、何とか伏せておけるが。
こんなことを政宮殿下が周囲に公言しだしては、どんな事態が起きるか。
通村の背筋は、それこそ固体ヘリウムが押し当てられた並みに冷たくなってきた。
取り敢えず、何故にそこまで尚侍に政宮殿下は執着されるのか、その理由を把握する必要がある、そう考えた通村は、何とか政宮殿下から理由を聞くことにした。
「何故にそこまで尚侍との結婚を望まれるのですか。私から見れば、皇太子殿下から5歳も年上で、更に3人も子を産まれた方です。そんな尚侍との結婚を、文字通りに皇太子の地位を捨ててまで望む理由が分かりかねますが」
通村は何とかそこまで言ったが、政宮殿下は通村の言葉を遮って言いだした。
「あれ程に魅力的な女人は見たことが無い。それこそ僅かな身振りさえ、男を自然と誘うような色気を漂わせるではないか。九尾の狐の化身、傾城傾国の美女の顕現と言われても、私は信じるぞ」
「はあ」
政宮殿下の言葉にドン引きする想いさえしつつも通村は何とか言葉を返したが、その一方で、尚侍、美子に対する評価としては誤っていないと頭の片隅では考えざるを得なかった。
尚侍、鷹司(上里)美子は、本当に美女であると共に、本人は全く無自覚なのだろうが、(性的に)他人を誘うような挙措を示すことが多い。
それこそ男性どころか、同性愛傾向のある女性でさえ、尚侍に惚れない人はいないと陰では言われているらしい。
これについて、オスマン帝国のハレム生活の経験のある実母、広橋愛の影響という者もいるが、私の見る限り、私の実祖母である上里愛子の血の影響の気がする。
何しろ女系でいえば、琉球一の芸妓の血を二代に亘って受け継いだ末裔になるのだ。
美子が無自覚の内に性的に人を誘うのは、その影響ではないか。
だが、それが皇太子殿下にまで及ぶとは、本当に何とかせねば。
通村は素早く頭を回転させ、政宮殿下は別の方向で頑張る必要がある、と誤導した。
「それならば、様々な学問を身に着ける必要があるかと。尚侍は多才な女性です。尚侍の話についていけるだけの学問を身に付けないと、尚侍に愛想を尽かされます」
「そんなに尚侍は多才なのか」
通村の言葉に、政宮殿下は誤導された。
「はい、和歌は私と共に古今伝授を父から受け継ぐ程です。又、琵琶や三線は師になる養母にして実の叔母になる九条敬子を凌ぐ腕前です」
「何と」
通村の言葉に政宮殿下は驚嘆した。
「まずは尚侍に相応しい男になられるべきです」
「確かにその通りだ」
政宮殿下は懸命に学問に励んだ。
プロローグと微妙に描写が違う、と指摘されそうですが。
プロローグでの鷹司(上里)美子は、皇太子の政宮殿下が自分と結婚したいと夢見ているのは知っていましたが、そのためならば皇太子(将来の天皇)の地位を捨てても良い、とまで思いつめているとは考えていなかったのです。
このために美子は慌てて行動する事態が起きました。
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