プロローグ(第13部)―1
お待たせしました。
第13部の開幕で、基本的に1610年が舞台になります。
広橋愛は、色々な意味で仕事でも家庭でも頭が痛い日々を、1610年の春に送っていた。
まず、仕事の方を述べるならば。
広橋愛は約10年程、義理の従兄になる衆議院議員の伊達政宗の下で働いており、最初は受付事務員だったのが、在京の第二秘書を務めるようにまでなっていた。
そして、これまでは片倉景綱が上司としており、そんなに頭を痛めることが無かったのだが。
そもそもの発端は、今年の正月明けに起きた。
「ちょっと1週間程、検査も兼ねて入院してきます」
景綱は、生活習慣病といえる糖尿病に予てからり患していたのだが、とうとう掛かりつけの医師から、入院を勧められる羽目になったのだ。
とはいえ、景綱の口調から、1週間程で復帰、とその時は政宗も愛も考えていた。
だが、入院しての精密検査の結果、
「かなり悪い状態で、自宅で食事から運動から気を付けるように、と厳重に指導されました。できないならば、又、これ以上に悪くなれば、すぐに入院です、とのことです。秘書を退職したいと考えます」
そう景綱は言ってきたのだ。
これには、政宗も愛も泡を食う羽目になった。
取り敢えずの秘書の人手は、景綱が息子の重綱を推挙してきて、何とかなったが。
よりによって、今年は衆議院議員選挙の年でもある。
1606年の衆議院選挙で労農党が敗北した結果、保守党出身の尼子勝久首相が誕生し、それに対して、労農党は若手のホープと期待されていた政宗を新党首に押し上げて、1610年の総選挙で政権奪還を策していたのに、肝心の党首の足下に年始早々に激震が奔ってしまったのだ。
政宗にしてみれば、何としても景綱の退職を引き留めたかった。
何しろ党首である以上は日本全土を選挙になれば、応援演説等の為に飛び回らねばならない。
そうした際に景綱を地元に送り込んで、地元の有権者との意思疎通を図ろうと政宗は考えていたのに、それができなくなるのだ。
こういった点で、愛を地元に置くのには、政宗や愛自身も不安があった。
愛は、元をただせばオスマン帝国人であり、日本人離れした容貌の持ち主でもある。
能力や人柄的には何の問題も無いが、地元の有権者に溶け込めるかというと疑問があった。
そうしたことから、愛は在京のみといってよく、陸前県にはほぼ行ったことが無かったのだ。
だが、衆議院議員秘書の仕事は激務であり、又、景綱の性格上、無理をせずに働くように政宗が言っても、どうしても無理をしがちになるだろう。
そうなると、景綱を退職させないと、景綱の生命を縮めることになるだろう。
政宗は散々に悩んだ末に、景綱の退職を認めて、愛を第一秘書に引き上げた。
更にできる限り、自らが地元入りをして、その際には愛を伴うことにした。
幸か不幸か、愛は今では養母になる上里理子(及び清)夫妻と同居しており、養子の正之を委ねて、政宗の地元になる陸前県に赴けるのも、好都合な点だった。
そんなことから、愛は京と陸前県をしばしば往復する多忙な日々を送る羽目になっていた。
又、第一秘書の仕事に、愛は懸命に馴染もうとすることにもなっていた。
これまでは何かあれば、愛は景綱に相談すれば良かったが、今では自分が第一秘書である以上、重綱らから相談があれば答えねばならない。
愛にしてみれば、全く以て急なことで、心身共に疲労する羽目になっていた。
そういった仕事の面で多忙な日々を送る一方で、愛は実子にして義妹になる鷹司(上里)美子の現状を気にしない訳には行かなかった。
美子は4年前の15歳のときに、従三位の官位を賜り、併せて尚侍に任じられている。
そして、美子は宮中での暗闘に関与しているのではないだろうか。
先年の猪熊事件もあり、愛は美子を心配していた。
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