第9章ー11
少し場面が変わります。
日本各所の現在の状況等について、5話程を投稿します。
ともかく、こういった地道な国土改造が行われる一方で、日本国内では通信手段が大幅に改善される事態が起きていた。
「大阪から電報が届きました。シャムからの外米にはなるが、大量の米を送るとのことです。飢きんによる餓死者は出さずに済みそうです」
「助かったな」
陸前の国司、伊達晴宗の代理として国司代を務める中野宗時は、部下が持参した電報を読んで、一息吐くどころの話ではなかった。
安心して帰宅した中野宗時は、息子の牧野久仲に安堵の余り、少し機密に関する話をする程だった。
「いや、皇軍が来訪したことにより、様々な連絡が電信によって届くようになったのは、本当に有難い。このお陰で、陸前で餓死者を出さずに済みそうだ」
「電信というのは、それだけの力があるのですか」
まだまだ若者ということもあり、牧野久仲はその辺りのいわゆる効能が分かっていなかった。
「応、若造のお前には分からない話だろうが。本当に有難いどころでは無いぞ」
中野宗時は、安堵して自宅に帰宅できたことから、思わず大酒を呑んだこともあり、笑いながら言った。
「何しろ日本国外からまでも、ほぼ瞬時に将来的にはだが、連絡が届くのだからな」
(なお、こんな感じで身内ということから、つい機密に関する話を息子に話していたこと等から、数年後に国司代を中野宗時は罷免されることになるのだが)
「日本国外からですか」
牧野久仲は、思わず目を見張らざるを得なかった。
この1552年当時、皇軍がもたらした技術により、有線電信網は日本国内のみならず、徐々に海底ケーブルと言う形で日本を中心として、琉球(沖縄)、台湾、ルソン、ブルネイ、シンガポール、更にバンダ・アチェ等を繋ごうとしている段階だった。
そして、取りあえずは、日本の京の都におかれた中央官庁と、日本各地のいわゆる国府とは有線電信網で完全に繋がれており、更に現在進行形で国府から郡役所等へ、更に民間でも有線電信網が利用できるように徐々に広まりつつある段階にあった。
(他に郵便網もできつつあったが、それについては、この章の内に後述する)
ともかく、こうした有線通信網の発達から。
「それこそ、陸前どころか、旧奥羽一体が昨秋の冷害により、米が大不作になったのは知っておろう」
「それは当然に知っております」
息子は思わずムッとして、父に言葉を返したが。
「それなら、民の餓死者をどうやって防ぐか。お前の考えを述べてみよ」
「それは最悪、木の皮や草の根までも食べるしか無いかと」
「バカか。そんなことをしていては、民が一揆をおこすわ」
父と息子は、そんな問答をした。
「よいか。昔と違い、皇軍がもたらしたジャガイモが普及しつつあるとはいえ、米が大不作となった際、どうにも飢きんが起こるのは、今でもある程度は仕方がない。だが、今は有線電信網により、京の都に苦境を瞬時に訴えることができる。そして、京の都が手配りをしてくれることで、米等を送ってもらえる。それによって、飢きんが起きても、餓死者を出さずに済むのだ。このこと、ゆめゆめ忘れるではない」
中野宗時は、息子を諭しながら、更に思った。
更に言えば、本当に輸送網も徐々に整備されつつある。
「陸奥から長門まで、6頭立ての馬車で行けるようになろう」
それを合言葉のようにして、徐々にだが、日本各地の陸路、道路が整備されつつある。
(もっとも、その前にある程度の河川改修が済んだ上で、となるのは止むを得ない話だった)
また。
中野宗時にしてみれば、もっとも有難いのは航海技術、更には造船技術の進歩等により、それこそ大阪から現在、陸前の国府となっている仙台(千代)までの海路が確立されていることだった。
米は無事に届く筈だ。
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