第68章―25
ともかく鴨緑江や豆満江以南の朝鮮半島北部では朝鮮族と女真族が事実上は混住している、という状況がこの世界でもあった。
そして、女真族が分裂していることもあって、李氏朝鮮が名目上は鴨緑江や豆満江以南を統治していたが、実際にこの地域の女真族を統治下に置いていたか、というと。
細かく考える程に微妙な状況にあったのだ。
(この辺りは、何をもって統治下に置いていると言えるのか、という問題が絡む。
それこそ国内と称する地域に住んでいても、その住民の詳細を把握しておらず、更にその住民が納税さえもしていないのを、その国が看過しているのならば、その国の住民又は国民と言えるのか、というある意味では究極の問いである。
そんな住民は、その国の統治に服していない。
裏返せば、その国の領内又は統治下に住民があるともいえないのではないか、ということである。
この頃の朝鮮半島北部の女真族の多くがそういった存在で、李氏朝鮮に納税をしておらず、又、李氏朝鮮も詳細を把握していない者が圧倒的多数だった)
そして、日本と建州女直との講和から同盟関係から、女真族の国家といえる後金が成立して、更に強大化していったことは、明帝国はともかく李氏朝鮮としては過敏に反応せざるを得なかった。
更には李氏朝鮮内では攘夷主義者の主張が急激に高まり、少しでも弱気な主張を相手がすれば、
「非国民」
「売国奴」
の罵声を相手に浴びせかけることが多発して、それが官僚であれば失脚どころか、文字通りに自らどころか一族の命まで危険にさらされる事態が起きるようになった。
こういったことから、李氏朝鮮内では領内(?)に住む女真族に対する迫害が多発する事態が起きるようになっていった。
女真族から成る国家の後金としては、李氏朝鮮に対して外交的交渉を行うことで迫害等を止めるように善処を求めたが、それこそ李氏朝鮮国内では官僚の派閥抗争が宿痾になっており、後金からの申し入れを受けいれるのは、非国民、売国奴だという暴論さえも政府内では横行する事態となった。
そして、李氏朝鮮政府自ら、領内に住む女真人は存在しないとして、良くて追放、悪くすると女真族を老若男女に拘らず、虐殺する事態が起きた。
それが後金や日本に知られて抗議があれば、存在しない者は虐殺できないと居直る事態さえ起きた。
取り敢えず、後金としては(この1605年時点では)朝鮮半島北部から逃げて来た女真族の住民を積極的に国内に受け入れて庇護すると共に、満州各地で土地を与えて、その地で開拓等を行わせることで自活できるように方策を講じていたが。
この問題は、後金国内で急激に反朝鮮族感情を高める一因になっていた。
それこそヌルハチ自らが、上里清やその周囲の面々に対李氏朝鮮戦争の速やかな実施を、この頃は訴えている現状までもあった。
これに対して、上里清は日本本国政府に対して、ヌルハチの意見に同意する意見を添付した上で、どうすべきかを照会していたが。
日本政府としては、せめて1607年までは待てという態度を執っていた。
その理由だが、これまでの女真族の軍隊(後金国軍と言っても間違いではない)を、日本軍と似たような装備、組織に大規模な改編中であるという現実がまずはあった。
これが完了しない中途半端な状況では、実戦では却って損害が出てしまう。
そして、日本軍と似たような装備、組織の軍隊にするということは、必然的に大量の補給物資が必要な軍隊になるということであり、そういった補給物資を運べる後方部隊の整備も必須になるということだった。
こういった事情から、1607年までは対李氏朝鮮戦争を後金に対して抑止する事態が、日本政府には起きていたのだ。
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