第9章ー9
利根川の河川改修でも同様に、地元の寄生虫病対策に頭を痛めることになった。
いや、この寄生虫病対策は利根川のみならず、それこそ九州地方の筑後の筑後川、中国地方の備中から備後の芦田川、更に甲斐の甲府盆地底部一帯においては、大問題となった。
(なお、他にも駿河の沼川(浮島沼)や上総の小櫃川でも、問題になっている)
その寄生虫病の名は、日本住血吸虫症という名の寄生虫病だった。
これは寄生虫によって発生する病気なのだが、一般的な寄生虫病(回虫や蟯虫)と異なり、いわゆる経口感染では無くて、経皮感染をするという特徴が、日本住血吸虫症にはあるのだ。
このため、いわゆる煮沸消毒をした飲食物を食べることによって、寄生虫病等を予防するという一般的な方策が効かないという事態が生じてしまう。
これを予防するとなると、いわゆる生水を皮膚に接触させてはならない、という大問題が生じるのだ。
さて、ここで問題です。
日本の農業は、基本的に水田を用いた稲作です。
こうした中で稲作農業をする際に、生水を皮膚に一切、接触させないことが出来るでしょうか?
そんなことできるか、という答えがデフォルトになるという事態が起きてしまうのである。
本当に400年後の知見があるとはいえ、いや、知見があるからこそ、流行地においては日本住血吸虫症への対策は苦闘を強いられることになった、といっても過言では無かった。
それまで、一切の原因が分からないといっても過言では無く、半ば業病扱いされていた日本住血吸虫症の原因が、皇軍の未来知識によって分かったとはいえ。
その対策となると、それこそ様々な知見がこらされることになると共に。
ある意味、日本住血吸虫症を発症する地域への差別等が引き起こされるのも、世間の半ば宿命と言えた。
利根川の大改修(東遷)が、常陸や下総で大反対運動を引き起こしたのも、この大改修によって、日本住血吸虫症が地元にも蔓延するのではないか、という恐怖感情が一因だったのは否定できない話だった。
しかし、利根川の大改修は、何としてもやらねばならず、そのためにも日本住血吸虫症対策はやらねばならないことではあった。
患者の発生地(住居地)がどこかを調査して、稀なところは除外して、それなりのり患者がいる所は、有病地であるとして、日本住血吸虫症の原因となる日本住血吸虫の中間宿主となるミヤイリガイの駆除が、徹底的に行われることになった。
(これは甲府盆地や筑後川等でも、当然のことながら行われた)
その方策だが。
まず、直接的な駆除の方法として。
それこそ人海戦術で、肌が水に浸からないように箸等を使って、ミヤイリガイを集めるような涙ぐましいとしか言いようのない代物から。
ミヤイリガイの天敵となるホタルやアヒルを養殖の上でミヤイリガイの生息地に放すことで、それによるミヤイリガイの減少が図られることもあった。
更には、生石灰や石灰窒素を散布することで、ミヤイリガイを駆除するという強硬手段も用いられた。
他にも間接的な駆除の方法として。
ミヤイリガイが大量に生息している池や沼を埋め立てることも行われた。
これは水利権等が絡むので、大揉めに揉めることもあったが、強行されることも稀ではなかった。
とはいえ、ミヤイリガイを減少させることに努めるだけでは、日本住血吸虫症を減らすことは、中々困難な話になるのはどうしようもない。
何しろミヤイリガイの繁殖率は極めて高く、ミヤイリガイの生息地を生石灰の散布でほぼ絶滅させた、と安心していたら、他からの流入もあるのかもしれないが、数年で元の木阿弥ということも稀では無いのだ。
だから。
ミヤイリガイの駆除以外の方法による予防策も駆使された。
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