第68章―12
もっとも兄の上里隆の殉職状況は正確には不明と言って良い。
まだ新人といえた兄は僚機として地上部隊支援作戦を展開していたのだが、長機が少し目を離している間にエンジンが火を噴いており、低高度を飛行していたために落下傘降下も間に合わずに機体と共に墜落炎上したのだ。
だから、遺体は完全に焼失したといってよい状況になったことから、兄の上里隆の墓に今、入っているのは結果的に形見となった遺髪だけだった。
何故に兄の隆の乗っていた戦闘爆撃機のエンジンが火を噴いたのか。
女真族が少数とはいえ持っていた北米共和国製の小銃による銃弾がエンジンを撃ち抜いたからでは、という考えが美子の脳裏に浮かぶこともあるが、それなりに防弾が考慮されている以上、歩兵用の小銃弾(しかも地上から撃ちあげることになるので威力が減衰してしまう)でそんなことにはまずならない、と父は言っている。
そして、(昔、美子らが聞いた)父の主張によれば、
「他にも似たようなことが複数報告されている以上、隆が亡くなった原因は、冷却水が漏れたことによるエンジン過熱による事故死の可能性が一番高い。最前線だと色々と整備不良等が生じやすい。又、故障の修理にしても完全に行われるとは限らないからな。それにしても何で地上攻撃を行う戦闘爆撃機のエンジンを水冷エンジンにした。担当者はその危険が分からなかったのか。こういった事態は空冷エンジンだったら、危険を減らせた筈だ」
とのことだった。
だから、上里家の内部では、隆は殉職扱いになっている。
公的には作戦行動中の死なので隆の死は戦死とされており、二階級特進等の恩典も為されているが、その死の詳細な状況報告を受けて激昂した父に言わせれば、
「あれのどこが戦死だ。どう見ても殉職だ」
との主張を他の家族も受け入れ(ざるを得なかっ)たのだ。
それにしても、父の立場ならば、後方勤務に兄達を回すこともできただろうに、と美子らは考えることがあるが、父に言わせれば、
「そんな風に息子を後方勤務に回す等、公私混同で言語道断だ。将軍や提督の子どもは最前線で戦うのが当然なのだ」
とのことなのだから、これが息子達の予め決まっていた運命だったのだ、と理子母さんは考えて自分を慰めているらしい。
そんなことを美子は頭の片隅で考えつつ、父の愚痴り酒の相手をしていると、父の愚痴の矛先は酔っていることもあって、更に飛び火した。
「そういえば、あの時にヘリコプターを始めて実戦投入したのだな。早く良いエンジンができないとどうにもならないな。レシプロエンジンでは馬力不足だ。それこそ救助用程度しか使えないし、最前線で使うには脆弱すぎる。本当に軍用機と言い、ヘリと言い、エンジンには困ったものだ」
美子は、父の愚痴に無言で肯くしかなかった。
実際、この頃の軍用ヘリコプターは、搭載するレシプロエンジンの能力問題から、操縦者も含めて4人程度を載せるのが精一杯だった。
更に装甲も薄いモノで歩兵銃の銃弾でさえ防げるモノではなかった。
そして、速度も航続距離も不足気味だった。
こうした現実から、最前線で負傷した自力で動けない兵を少し後方の開けた場所に運び、そこからはヘリコプターに載せて、衛生兵と共に後方の病院に送るというのが、この当時の軍用ヘリコプターの最大の任務という現実が起きていた。
もう少し装甲を厚くし、せめて半個分隊を載せられる軍用ヘリコプターの開発が目指されてはいたものの、搭載する新型ターボシャフトエンジンの開発に手間取っていて、少なくとも3年以内の量産化は無理だ(美子は知らないが、清は職務上知っている)と言われているのが、この当時の現実で清の愚痴にはそれがあった。
少し補足。
北米独立戦争で武田晴信将軍の息子の武田勝頼や、真田幸綱将軍の息子の真田昌幸は最前線で戦っており、上里清自身も閨閥からすれば後方勤務が当然でしたが、最前線で戦っています。
(上里清の義兄弟は織田信長首相や摂家当主の九条兼孝になる以上、忖度されても当然の立場といえます)
そういった現実がある以上、上里清としても息子二人を最前線で戦わせることになりました。
(高貴なる者の義務を遂行させたのです)
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