第68章―6
真田昌幸参謀総長が立てた作戦計画だが簡明な代物だった。
それは複雑な作戦計画を立てる程に、その作戦は実行の際に齟齬を生じるものであり、計画段階では簡明な代物が良く、実行段階において柔軟に現場に合わせて行われるべきだ、というそれこそ対ポルトガル戦争から北米独立戦争まで経験してきた日本軍の実戦経験から導き出された作戦計画だった。
更に言えば、真田昌幸は北米共和国独立戦争で実戦経験があり、その際にはこの戦争の終わりを事実上は告げることになったグアンタナモの戦いの事実上の参謀長を務めた存在でもあり、そういったことからも安心できる手腕の持ち主だった。
さて、真田昌幸が立てた実際の作戦計画だが、(史実の地名で以下は述べると)まずは、旅順と大連を制圧して、遼東半島の先端部を1個師団で抑えることになっていた。
そこを前進拠点として整備し、あわよくば建州女直の軍勢を引き寄せて、野戦で雌雄を決するのが第一段階の作戦計画だった。
そして、補給物資の揚陸港や飛行場の整備を一月程掛けて終わらせた後、遼東半島の西岸を北上して営口を目指して占領するのが、第二段階だった。
この第二段階では2個師団を双頭の龍として進撃させて、遼東半島の先端部に整備された飛行場を第一拠点とする航空支援を行うことで、この進撃が容易に進むように計画された。
(旅順から営口までは約300キロ前後の距離しかなく、営口に次の飛行場を整備すれば十分というのも背景としてあった)
真田昌幸の作戦計画では、ここまでやれば建州女直は日本軍とどこかで決戦を挑む筈で、それを戦車や航空機まで投入した火力の優位で完全に粉砕して、建州女直を日本軍の軍門に下すことが出来ると最初は考えていたが、あくまでも建州女直が決戦を回避して遼東半島の山間部で遊撃戦を企んだ場合はどうするのか、という指摘があったことから。
第三段階として、その場合は予備の一個師団を安東に上陸させて、四個師団を投入することで、遼東半島の山間部を掃討することになった。
この場合は営口や安東にも飛行場を整備して、三か所から軍用機を運用して建州女直の軍勢の動向を把握し、粉砕するというのが計画だった。
尚、この作戦の為に日本軍は、補給や基地建設等を担当する後方部隊も含めれば、10万人余りの大軍を、対女真戦争に投入することになっていた。
これ程の大軍を投入するとなると、それこそ北米独立戦争以来となるので、衆議院の一部(主に野党議員)からは戦費が掛かることを理由に反対の声が挙がったが、真田参謀総長は大量の兵を一時に投入した方が、短期で戦争を終結させることができ、却って戦費等を節約できると主張し、それに陸海軍の幹部のほとんども同意したことから、二条首相は軍部の意見に与して、その首相の判断に連立与党も同意したことから、対女真戦争のための戦費、予算は議会を通過することになった。
だが、次の段階で意外と苦労することになった。
それはこの作戦に投入されることになった四個師団及び各種部隊の編制についてだった。
これを軍務局長として事実上行ったのが、上里清だったが、本当に頭を痛めることになった。
日本陸軍の基幹となるのは、それこそ北米独立戦争という大戦争を経験していたが、それでも大隊単位が基本というのを崩していなかった。
オスマン帝国等に師団や連隊編制を実際に日本陸軍は指導しているのだから、常設の師団や連隊を設置するのが当然のように思われそうだが。
日本陸軍が本土防衛ではなく、基本的に本土以外で戦うことを想定している。
(対外戦争を日本が行う場合、世界最強の日本海軍が日本本土近海の制海権を確保するのは、ほぼ確実といえた)
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