第9章ー8
この際、半ばついでに語るならば、日本各地で400年後の知見に基づいた河川改修が、利根川、信濃川、大和川、濃尾三川以外でも各所において行われている。
九州ならば筑後川、四国ならば吉野川、中国では太田川、東北では名取川や最上川等といった例がある。
だが、これらは利根川等に比べれば、あくまでも相対的な問題になるが、規模が小さくて済んだ。
そして、これらの河川改修により、日本全土で治水が大きく進み、洪水被害が減少することになった。
とはいえ、このような河川改修は、そう順調に必ずしも進まなかった。
それこそ既述のように、どうしても様々な利害の対立が河川改修には必然的に絡むからである。
そして、中でも利根川、信濃川等の河川改修が順調に進まなかった要因だが。
こういった河川改修においては、単純な利害対立だけには止まらず、その土地における病気対策も絡んでしまったことが重大な要因だった。
例えば。
信濃川については、当時、地元の風土病と化していたツツガムシ病対策に翻弄されることになった。
それこそ信濃川の下流域において蔓延していたツツガムシ病は、主に春から夏にかけての間、その土地に根付いているダニによって媒介されて流行していたのだ。
そして、信濃川の河川改修工事は、文字通り、ツツガムシ病の病原体を抱えたダニの生息地で行われなければならないものだったのだ。
浅知恵をもってすれば、それなら秋から冬に信濃川の河川改修工事を進捗させればよい、と言われる話かもしれないが。
何しろ、日本中どころか世界中でも、信濃川の下流域のある新潟平野は有数の豪雪地帯である。
秋はそれこそ稲刈り等の農繁期であり、それが終わったと思う頃には、雪が舞い出すのだ。
更にしばらく経てば、それこそ雪は根雪となり、春まで雪が積もる事態となる。
こういった中で、信濃川の河川改修工事を大規模に進める等、思いも寄らない話となる。
かと言って。
春になって、雪が融け出したとなれば、農民はそれこそ苗代づくり、田植えの準備等に取り掛からざるを得ないという時期になってしまう。
そして、田植えを終えて農繁期が一段落して、夏が来る頃に信濃川の河川改修工事を行おうとすれば。
今度はツツガムシ病の脅威が迫る、という事態が引き起こされる。
ツツガムシ病対策において直接に効く薬(抗生物質等)が無い現在、予防措置を講じるのが、一番のツツガムシ病対策ということになるが、その予防措置というのが、止むを得ない話だが。
それこそ夏の暑い盛りに、長袖シャツに長ズボンを着込み、手袋をして、更に長靴を履いて、という熱射病ですぐに倒れかねないような恰好を、作業従事者は取るということにならざるを得ないのだ。
これはツツガムシ病対策として、ダニに刺されないようにするためにはやむを得ない恰好ではあるが、こんな格好で、幾ら水に浸かっての作業があるとはいえ、そう長く続けていては、作業従事者は本当に熱射病で倒れる事態が多発してしまう。
(実際に、夏季に行われた信濃川の河川改修工事において、熱射病患者が多発している)
こうしたことから、信濃川の河川改修工事は中々進捗しないという事態が生じてしまったのだ。
夏にやれば、ツツガムシ病に襲われる。
冬にやれば、豪雪に悩まされる。
そういった悩みに襲われてしまうのだ。
それこそ、こういった難問題を夫の長尾政景に丸投げして、自分は陸軍士官に志願して逃げてしまった弟の上杉景虎を、姉の綾姫が長きにわたって許さなかったのも、ごもっともだと言える話だった。
もっとも、この難工事のおかげで、新潟平野が日本の米どころと言われるようになる発端が開けることになったのも、また事実ではあった。
ご感想等をお待ちしています。