プロローグ―5
実の娘にして義妹になる上里美子が家から出て行くのを見送りつつ、広橋愛は色々と考えざるを得なかった。
今のこの家(建物)に住んでいる上里家の人間は、義妹の上里愛だけだ。
上里清の実母の上里愛子は、それこそ実子どころか、上里家の後を継ぐべき孫二人に先立たれたという衝撃が大きかったのだろう。
上里克博や上里隆が亡くなる前から、老衰から来る様々な体調不良を上里愛子は訴えていたのだが、結果的にその衝撃から1603年に診断書上は老衰で亡くなった。
(上里愛子は1530年生まれであり、70歳を過ぎている以上は老衰で亡くなってもおかしくはないが)
そして、上里清は陸軍省軍務局長という重職を務めていたのだが、1601年の対女真戦争の結果として満州国が建国され、そこに駐留する在満州日本軍が設置された結果として、1602年に在満州日本軍総司令官に転任して、現在でも満州に妻の理子と共に赴任している状況にある。
こうしたことから、結果的に上里愛子の末期については。
「本当に何とも言えないわね。まさか貴方に看取って貰うことになるなんて」
「もうすぐ敬子さんや里子さん、それに妹の美子も来る筈ですから」
「いいのよ。これが私の運命、考えてみれば、あの人との結婚生活も私の想うようには行かなかった。あの人は私の事を心から愛してくれて、あの女との関係は体だけだとまでも言ってくれたわ。でも、女として何となく分かるのよ。あの人なりにあの女のことを想っていたのは」
そんな会話を、広橋(上里)愛と急に危篤状態に陥った上里愛子は交わすことになったのだ。
「貴方、本当は夫が前はいて、今でも愛しているのね。そんな夫がいるとは羨ましいわ」
「いきなり何を」
「いいのよ。そこまで素直に愛せる人がいるとは、本当に幸せ。私とあの人も相思相愛だったけど、あの女が割り込んで来て、それで」
「無理して言わなくても良いです」
広橋愛は慌てて上里愛子の言葉を止めた。
広橋愛としては、上里愛子が具体名を挙げずに誰のことを言っているのかを察している。
あの人は上里松一であり、あの女はプリチャ(永賢尼)のことを言っているのだろう。
それに広橋愛にしてみれば、亡くなった夫のことは誰にも触れられたくないことだった。
「それにしても、貴方も皮肉ね。実子ではなく、将来は養子が面倒を見るなんて」
「そう言われればそうですね」
広橋愛が当主の広橋家は、何れは広橋正之が継ぐ。
裏返せば、老後の広橋愛の面倒を見るのは養子の広橋正之であり、実子の上里美子ではない。
「貴方の娘の美子も、私の血を承けているのね。そう考えれば、上里家を継ぐのは美子の子孫でも良いのか。あの女の子孫が継ぐよりは良いわね」
上里愛子は、末期の苦しみから来る幻想に浸っているのか、そんなことまでいきなり言い出した。
それ程に上里愛子の本音としては、あの女は絶対に赦せない存在なのだろう。
そして、他の人が駆けつける前に。
「愛さん。最期を貴方が看取るとは思わなかったわ。幸せになってね」
それが上里愛子の最期の言葉に事実上はなって、広橋愛は上里愛子の最期を看取ったのだ。
(細かいことを言えば、上里愛子の息がある内に九条敬子や中院里子、又、飛鳥井(上里)雅子や上里美子は駆けつけることができたのだが、既に意味のある言葉を上里愛子は発せられなかったのだ)
「お母さん、どうかしたの」
ずっと考え込んでいたせいか、広橋正之がそう広橋愛に尋ねて来た。
「大したことじゃないわ。じゃあ、保育園に行きましょうね」
「うん」
広橋愛と広橋正之はそんなやり取りをして動き出した。
そして、広橋愛は上里清夫妻に状況を知らせて、上里美子は満州に向かうことになった。
70歳過ぎで老衰死とは早すぎると言われそうですが、この世界の医学水準は1950年代です。
それに21世紀の現在でも70歳代で老衰でなくなる人はおられます。
これで第12部のプロローグを終えて、次話から第68章に入ります。
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