第67章―10
そして、徳川完子と久我通前のまとめは、中央アジアやイラン方面にいよいよ差し掛かった。
「中央アジアはチンギスカンが築いたと言えるモンゴル帝国の残影が未だに遺っているのね」
「ティムール朝が崩壊した後は、モンゴル帝国の残影と言えるイスラム教スンニ派を信奉するモンゴル系、トルコ系の民族国家が、中央アジアでは幾つか分立しているといってよいのかな。更に言えば、その多くがチンギスカンの末裔を名目上の国王等として抱いている」
「そして、イラン地方ではイスラム教シーア派のサファヴィー朝が統治していて、イスラム教スンニ派のオスマン帝国とは犬猿の仲と言って良く、それこそ1世紀近くに亘って抗争というか、戦争を断続的に繰り返しているのね」
徳川完子と久我通前は、そんな会話を交わすことになった。
「それにしても、同じイスラム教なのだから、宗派が違うだけで、そこまで戦争をしなくても」
そう徳川完子は軽く言ったが、それは上里美子にしてみれば地雷を踏む言葉だった。
「確かに同じ宗教だけど、宗派の違いは重要よ。それこそ仏教どころか、日本の仏教の浄土真宗にしても宗派の違いから、どれだけ揉めて来たの。浄土真宗の本願寺派という宗派でさえ、北米独立戦争を機に分裂していた気がするけど」
美子は思わず低い声で言った。
「ごめんなさい。美子ちゃんがそこまで気にしているとは思わなくて」
いつもは温和な美子が低い声を発したことから、自分が地雷を踏んだことに気づいた完子は平謝りに近い言葉を発して頭を下げた。
尚、美子の怒りを察して、通前も顔面が白くなってしまった。
「分かってくれるのならいいわ」
美子は、自分も怒り過ぎたのが分かっているので、そこで矛を収めた。
とはいえ、美子としては完子の言葉は無神経すぎた。
それこそイスラム教のスンニ派とシーア派の宗派対立は色々と深刻なところがあり、その結果として美子の実母の愛は奴隷にまで堕ちる羽目になったといっても過言では無かった。
そして、美子は4歳までオスマン帝国内で住んでいて、更に実母の関係からそう言った事情を詳細は知らなくとも、肌感覚で未だに覚えている。
更にいえば完子は、そういった宗派対立を親族関係や祖国の関係から察していて当然の身なのだ。
だから、美子としてはいわゆるカチンときてしまったのだ。
(言うまでも無いことかもしれませんが、この世界では北米独立戦争によって、浄土真宗本願寺派は分裂することになっています。
更に言えば、北米共和国が独立できたのは浄土真宗本願寺派の一部、(この世界で言えば)北米派が北米共和国に味方したことによる影響が大きかったのです。
一般の人なら知らなくても当然ですが、完子は徳川家康の孫娘なので、浄土真宗本願寺派内部の対立を私は知りませんとは言えない立場なのです)
それはともかくとして。
完子と通前は、美子の怒りが再燃しないように気を遣いながら、中央アジアからイラン地方のまとめを小声でやり取りをして終えることになった。
その一方で、美子自身も自らが怒り過ぎたことを自省しつつ、改めて考えざるを得なかった。
本当にイスラム教といい、キリスト教といい、更には仏教といい、何故に宗派対立までも起こして、更には武力にまで訴えて、大量の死人を出す事態が起きてしまうのだろう。
そういえば、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒は同じ唯一神を神として崇敬しているとか。
それなのにお互いに相手の教えは間違っていると言い、更に宗派対立をして同じ宗教の信徒同士で殺し合いにまで至っている。
本当にこの世界を造ったのは神なのか。神以外の何物かでは。
実母の影響もあって、そこまで美子は考えが及んでしまった。
ちょっと補足説明をします。
上里美子は、この時点で実母にして義姉の上里愛が、かつてはスルタン=カリフの奴隷で、父の上里清に下賜されたことから自分が産まれたことを知っています。
ですが真実と異なる、愛が最初に清らに行った説明(オスマン帝国とサファビー朝との戦乱のために幼い頃に自分は奴隷になった)を美子は教えられていて、それが真実だと思っています。
(だから、美子は実母の愛が、かつて結婚していたことを知りません。
そこまで説明するのは流石に小学生には早すぎると、清や理子、愛は考えたのです)
そうしたことから、美子は宗教や宗派の対立に過敏になって育っています。
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