第9章ー4
1月28日に伊勢長島願証寺において、濃尾三川の改修工事完工の祝いが催されていた。
永賢尼は、ギリギリまで庫裏で料理の陣頭指揮を執った後、祝いの席に参列していた。
「そこまでされなくとも」
という声が、伊勢長島願証寺の僧侶等の間から無かった訳ではないが。
永賢尼自身が料理が好きであったことや、伊勢長島願証寺の庫裏を預かっていた者の香辛料の遣い方がまだまだ不慣れであったことから、どうにも永賢尼としては目を離せなかったのだ。
もっとも、そのお陰で。
「これは有難いな」
「辛いが美味いな」
祝いの席に招かれず、ある意味、おこぼれにあずかる羽目になった酒井忠次と石川数正までも、舌鼓を打つことが出来ていた。
「それこそ、腹の底から温もりますな」
冬の寒さもあり、二人の周囲にいる三河から来た本願寺門徒衆も、口々に感謝の声を上げていた。
永賢尼が大量に持参した香辛料は、この度の祝いの席に出される料理に使うだけには多過ぎたことから、伊勢長島願証寺の3世住職の証恵の了解を得た上で、永賢尼は祝いの席についてきた従者や門徒衆にも振舞うことにしたのだ。
一椀ずつしかなかったが、多くの者にとって初めて味わう味であると共に、温かい汁物だ。
中には汁掛け飯にして味わう者まで出た。
そして、多くの者にとって印象に残る振舞い料理になった。
そうしたことが、祝いの席の陰である一方。
祝いの席に出席している永賢尼は、傍にいる御付きの尼僧に、
「先程の方は」
「美濃の国司、斎藤道三殿です」
「どんな方なの」
「マムシと言われた奸物です。年老いたせいか、かなり丸くなられたそうですが」
「そう」
そんな感じで、小声で参列者の顔と名前を確認する羽目になっていた。
何しろ永賢尼は、(元夫と言える上里松一や本願寺の働きかけによって)現在は日本人になっているが。
血筋から言えば、生粋のシャム(タイ)人である。
こういった場では、どうしても浮いて見えることになる。
そもそも、このような場に女性、尼僧がいること自体が稀なことから、尚更、参列者から注目されて、永賢尼は挨拶を交わす羽目になっていた。
(勿論、証恵らも配慮しており、御付きの尼僧と共に永賢尼がいるのもその一環と言えた)
そうしていると、
「永賢尼殿ですかな」
「そうですが」
「織田信長と申します。お見知りおきを」
いきなり、きちんとした衣装に身を固めた20歳近いと見える若者が、永賢尼に頭を下げてきた。
すぐ傍には、御付きの老臣と見える者が付いてきている。
「これはご丁寧に」
そう如才なく答えた後、永賢尼は目の前の若者を値踏みした。
国人衆の出身ということもあり、ひとかどの人物であるように見えるが。
「例の件、よしなに」
「分かりました」
それだけで意図は通じる。
目の前の若者は去って行った。
すると、斎藤道三が、何時か永賢尼の傍にいた。
「平手(政秀)と来たか。今は真っ当なようだな」
「真っ当ですか」
「ああ、ここに来る時、とんでもなく奇態な格好で来ておった。尾張の大うつけ、とはよく言ったものよ」
斎藤道三は、そう言った後で呟いた。
「いや、乱世で娘婿に迎えるのなら、あのくらいの男が、むしろ良かったかな」
それだけ言って、永賢尼の傍を去った。
永賢尼は、斎藤道三の後ろ姿を見送りながら想った。
治世の能臣、乱世の奸雄という言葉があるらしいが。
織田信長という人物は、そのような人物なのかもしれない。
上里松一からは、
「どんな人物かは私は知らないので、貴方の目に最終的な判断を委ねます」
と託されている。
織田信長は、インド株式会社に採用するのに相応しい人物だ、と上里松一には伝えることにしよう。
そのように永賢尼は決めて、後は祝いの席の対応に専念した。
永賢尼は当然知らない話なので、作中での描写を省略していますが。
この世界では、斎藤道三の娘、帰蝶(濃姫)は信長と結婚していません。
(この世界では結婚する理由が無いので)
そのために、道三は信長のことを作中のように評しています。
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