第66章―4
ともかく明の文官武官、現代で言えば公務員の給料が極めて安いことは、それこそ日本の政府、軍が差し出す賄賂を、明の文官武官が受け取ることについて、現場レベルではどこが悪いのだ、と居直って当然という事態を引き起こした。
明政府が支給する給料だけでは、基本的に文官武官は食っていけないのである。
更には明政府自身が、文官武官が賄賂を受け取っている以上、文官武官の給料は引き上げない、と公然と言う現実があるのだ、ここまで言われるのならば、日本が差し出す賄賂を受け取って何処が悪い、と現場が居直るような態度を執るのも当然といってもおかしくない事態だった。
更に言えば、そういったこと、日本からの様々な賄賂を受け取ることについてもっとも酷いのが、本来ならば文官武官の綱紀粛正に当たるべき東廠という現実があった。
東廠はそれこそ宦官が握っており、様々な経路から提供される日本からの賄賂を積極的に受け取っては、日本に対して少しでも損害を与えるような提言をする文官武官に対して、様々な難癖をつけては迫害を加えるような有様だった。
(この辺りは宦官の悪癖が諸に出た事態と言える。
宦官はそれこそ生殖機能が無く、子孫が儲けられないために、ひたすら自らの富貴を図る、つまり積極的に賄賂を受け取る等の悪癖持ちが、世界の歴史的に圧倒的多数といっても過言では無かった。
そんな悪癖持ちを歴代の中国王朝を始めとして、何故に世界各地の多くの王朝が重用したのだ、と言われるだろうが。
それこそ皇帝、国王に侍る多数の妻妾を抱えた後宮を持つ王朝の場合、後宮管理のためには宦官が必要不可欠といっても、あながち間違いではない歴史的現実等があったのだ。
(そういった点で、日本の後宮は世界的に稀有な例である)
勿論、そういった悪癖、弊害を知った上で、歴史的に世界各地で宦官は重用されてきたのだが。
この当時の明は、そういったことに無頓着と言われても仕方のない状況に遭ったのだ)
ともかくこういった背景があっては、明政府は色々な意味で堕落しきったと言われても過言ではない惨状を呈して当然だった。
こういった現状を憂えた顧憲成は、宋代にあった東林書院の再興を図り、そこで在野の反政府的な意見を持つ面々を集めることで力を蓄えて、明政府の改革を図ろうとしていたが、この1600年時点ではまだまだ東林書院の再興を図りだしたばかりに過ぎず、明政府の改革を行うのはまだ遥か未来としか言いようが無い状況にあった。
そして、東林書院の面々にしても、実は基盤となる思想に問題があった。
顧憲成にしても(この時代的にやむを得なかったと擁護する声が高いが)朱子学を奉じており、当然のことながら中華思想に凝り固まっていた。
従って、日本からの技術導入等は夷狄の路に通じることであり、明自身で武器の改善等を行うべきである、と主張しており、これは皮肉なことに日本を利する主張としか言いようが無かった。
ともかくそうしたことから、一部の武官を中心とする面々が、日本から技術導入するなり、又は日本製の武器を購入するなりして、明軍の装備を改善するという方策は、それこそ(日本からの賄賂を受け取っている)政府の面々からも、朱子学を奉じる反政府の面々からも攻撃される有様だった。
更に言えば、明は文官武官に対する残虐な処罰でも有名であり、多くの文官武官が自分や家族の命を守る為に事なかれ主義を採らざるを得ない現実があった。
(それこそ出世する程、一日の仕事を終えて帰宅する際、今日も生き延びられたと陰で喜ぶのが明の官僚の現実だった。
何しろ辞表提出の多くが政府批判とされて弾劾される以上、辞表提出さえままならなかったのだ)
流石に賄賂を貰わないと官僚が給料だけでは食べていけない、というのは、史実的には嘘ですが、明の官僚が宋や清と比べると薄給だったり、明では官僚に対する処罰が厳格で、辞表提出もままならなかったのは史実通りだったりします。
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