第65章―14
話の中で所々、誤った描写が出てきますが。
登場人物である伊達政宗と上里愛の認識ではそうなっている、ということでお願いします。
「だが、ローマ帝国が伸長してくるとなると話は変わってくる。日本が対明戦争に踏み切った場合、それこそ明人の人の海に溺れる覚悟が必要だが、ローマ帝国はそんなことになったら、容赦なく明人を殺戮していくだろう。それこそスモレンスク等でローマ帝国軍がやっていることを考えればな」
「確かにそうですね」
伊達政宗と上里愛はやり取りをした。
既述のことだが、この頃にローマ帝国はモスクワ大公国と正式に戦争に突入しており、ローマ帝国軍の主力はスモレンスクを陥落させてモスクワへと進撃していた。
そして、その過程でローマ帝国軍が占領した土地では、モスクワ大公国の貴族の当主や上級聖職者は、全員が殺戮されるという事態が起きていたのだ。
更には、その状況からモスクワ大公国の貴族の家族、女性や子どもまでがローマ帝国軍に対して武器を取ってローマ帝国軍と戦っているが、捕虜となった場合は女子どもを問わずに全員が処刑されているという報道が、現地から従軍記者によって世界中に、つまり日本にまで流されている。
こうしたことを現在進行形で行っているローマ帝国軍が明と戦争になった場合、明人を同様に処刑していかないと政宗も愛も考えられる訳が無い。
更にこの時点では愛は気が付いていなかったが、政宗に言われて愛も気づくことがあった。
「それに考えすぎかもしれないが、ローマ帝国は基本的にキリスト教徒の国家だ。キリスト教徒は、異教徒や異宗派に対して極めて不寛容なところがある。それを明人に発揮しない筈が無い」
政宗に言われて、愛は背筋が凍る想いがした。
実際に愛がマンダ教徒なので、尚更にそう感じるのかもしれないが。
イスラム教徒は、
「コーランか、貢納か、剣か」
だが。
キリスト教徒は、
「バイブル(聖書)も貢納も。更に死も」
というところがある。
例えば、マンダ教徒に対する扱いも二つの宗教では異なっていて、イスラム教徒は、啓典の民としてマンダ教徒を扱っており、実際には迫害が行われることがあるが、貢納を行えばマンダ教の信仰は認められるのが本来となっている。
それに対して、キリスト教徒は、それこそ北米共和国にいる新マンダ教徒にまで改宗を求め、北米共和国に対して、ローマ教皇庁等はマンダ教徒の信仰の自由を認めるな、と言ってくるのだ。
更に言えば、中南米大陸を始めとするスペインやポルトガルが植民地化した土地では、原住民が異教徒の場合、徹底した殺戮が行われたことが稀ではない。
異端者に対する弾圧も徹底したところがキリスト教徒にはあり、それこそ一時は三大宗教騎士団の一つであったテンプル騎士団を異端認定して、騎士団のメンバーの多くが拷問の末に虐殺された等、歴史的事例が数多出てくる。
そして、愛にしてみれば親しみを覚えるグノーシス主義の宗教や宗派、マニ教やカタリ派等の信徒を虐殺していったのもキリスト教徒であり、現在進行形でキリスト教徒が圧倒的多数派を占める中西欧ではユダヤ教徒への迫害が行われているのだ。
こうした様々なことを考える程、ローマ帝国が東進した場合、明帝国と何れはぶつかって戦争になるだろう。
そして、明人はローマ帝国軍による容赦のない殺戮の嵐に遭うのではないか。
かつてモンゴルはバクダートを破壊した際に、二百万人を殺戮したと伝えきくが。
ローマ帝国軍が明帝国と戦うことになり、北京や南京等に侵略の矛先を向けた場合、明帝国全体で一桁上の死者が出てもおかしくない気がする。
愛はそこまで想像してしまった。
「ローマ帝国の東進を防ぐ手段は無いのでしょうか。日本も何か対策を考えているのですか」
自分の想像したことに背筋が凍る恐怖を覚えながら、愛は政宗に尋ねざるを得なかった。
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