第62章―24
後2話でまとめよう、と週末に色々と描き直しまでしたのですが。
どうにも微妙な2話になりました。
さて、モスクワ市民を襲った疫病だが、それこそ日本や北米共和国からの多大な援助活動も行われたことから、11月半ばにはほぼ鎮静化することになった。
そうしたことから、日本や北米共和国から派遣されていた人員はこの頃から徐々に撤収することになり、又、医薬品等の支援も終了したが。
そうは言っても、モスクワ大公国の残党によるローマ帝国への抗戦はまだまだ終わるどころではなく、懸命にモスクワ大公国内で彼らは遊撃戦を展開していたので、この戦乱による国内難民支援を理由とする食料等の日本や北米共和国からの物資提供は、今しばらく続くことになった。
その一方で、この疫病禍の鎮静化を受けて、疫病禍をモスクワ市で再発させないようにしようとする動きが徐々に起こることになった。
モスクワ市で疫病が大流行した一因として、上下水道の整備が遅れていたことがあった。
そして、ローマ帝国政府は、将来のユーラシア大陸を見据えた大戦略から、モスクワを何れはローマに次ぐ副都にしようと考えてもいた。
更に言えば、副都になれば人口増大は必然であり、そのためにも水道整備は必須である。
こうしたことから、羽柴秀頼らがモスクワに赴いて、疫病禍予防等のための大規模な水道整備計画の素案をこの冬の間に作り、翌春を期してそれを実働させるという計画等が立てられることになった。
(ローマ帝国を名乗る以上、ローマを名目上はローマ帝国の首都とせざるを得なかったが、ローマは(この世界の)ローマ帝国の領土から言えば、余りにも西に偏した首都になっていた。
更にはエウドキヤの生まれ故郷が、(エウドキヤ本人には良い記憶は全く無いといって良かったが)モスクワであるという事情もあった。
こうした事情も相まって、モスクワをローマ帝国の副都にしようという動きが生まれたのだ)
さて、マリナ・ムニシュフヴナは、この11月後半頃になっても、未だにモスクワに滞在していた。
父のイェジ・ムニシェフからは、いい加減に実家に帰ってこい、という連絡をマリナは度々受けるようになっていたのだが、モスクワでの見聞にマリナは色々な意味で魅せられており、とても実家には帰る気にはなれなかったのだ。
それこそローマ帝国とモスクワ大公国によるこの戦乱による様々な惨禍(直接の戦火による死傷等の現場、又、疫病の流行、叛逆者としての貴族当主や上級聖職者の処刑等々)をずっと見聞していて、マリナは本当に心身が傷つけられてはいた。
だが、その一方でローマ帝国や日系諸国が垣間見せる様々な素晴らしいモノに、マリナは完全に魅せられてもいたのだ。
飛行機にしてもそれこそ大西洋を越えてくるとは、又、疫病の治療薬があり、殺虫剤等があるとは。
それによる多大な恩恵を間近に見て、マリナはもう少し触れたいという想いを断てなかったのだ。
そうこうしている内に、この年末年始はモスクワでエウドキヤが皇太子のユスティニアヌスらと共に過ごすとの発表が、11月末に正式にローマ帝国政府から行われた。
マリナはその際に女帝陛下や婚約者のユスティニアヌスへの挨拶を直に行うという口実で、モスクワに居座ることにした。
更にその直前に東方正教への自らの正式な改宗を行ってはどうか、とも自ら提案した。
浅井亮政は、それらは良いことと素直に賛同したが。
藤堂高虎は表面上は賛同しつつ、内心では背伸びし過ぎだ、と懸念した。
確かに婚約は調っているし、それに改宗も決まったことなので、悪いことでは全く無い。
だが、今からこのような態度を執る少女とは。
この婚約を進めるのでは無かったか、と藤堂高虎は内心で後悔してしまった。
そんなことがあった後、マリナは羽柴秀頼と会うことになった。
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