プロローグー4
そうこうしているうちに、家の主である上里松一も、仕事を終えて帰宅してきた。
松一は、永賢尼(プリチャ)が予告なしに来ていることに、少し驚いて尋ねた。
「急に訪れるとは、何かあったのですか」
「いえ、特にはありません。むしろ、私の方が用があったついでに訪ねました」
そう微笑みながら言った後で、永賢尼は言葉を継いだ。
「何しろ、今年も間もなく報恩講が行われますので、その準備が必要不可欠なのです。その準備の一環として、良質の香辛料が大量に必要でして。更に今年は、もうすぐ濃尾三川の改修工事が完工する予定でしょう。それによって、伊勢の長島願証寺では門徒を集めて、工事が無事に終わったことを祝うそうで。その際に、香辛料を使った汁物を出したいとのことで、それにも香辛料が大量に必要なのです。そうなると、目利きの私が香辛料を買い付けない訳には」
「そういう事情ですか」
松一は、そう永賢尼に言葉を返した。
実際問題として、(この世界の)本願寺の報恩講は、1月9日から16日にかけて行われている。
(なお、現実の西本願寺や高田派と同様の考えと言える。
親鸞聖人が入滅した日を旧暦通りと考えるか、グレゴリウス暦を採用するかによって、現在の真宗内部では考えが別れている。
旧暦通りと考える東本願寺等では、11月21日から28日にかけて行われている)
これは、(この世界の)本願寺流の(皇軍のもたらしたことに素直に従いたくはないが、完全に反発して潰されるようなことはしないという)処世術から、そうなったものだった。
そういう事情から正月明けのこの時期に、永賢尼が香辛料の大量買い付けに大阪まで赴いたのだった。
そして、実際に香辛料を大量に買い、京の本願寺に送るように永賢尼は購入した店に依頼している。
そんな話をしている内に、永賢尼は少し申し訳なさそうに言った。
「ところで、夕食をここで子どもたちと共に食べて、本願寺に向かってもよろしいでしょうか」
そんなことだろうと思った。
そう、上里愛子(張娃)は内心で毒づいた。
ただ単に子どもの顔を見るだけなら、さっさと帰ると思っていたら、話が長い。
ついでに食事も共にして、ゆっくりと語り合いたいのだろう。
昔ならいざ知らず、何しろ、今では。
「最終列車で京に向かわれるつもりですか」
「ええ。20時頃に大阪駅を出る列車に乗れば、21時30分頃に京都駅に着きます。一応、先に京に向かった供の者には、そうする旨を伝えていますので、京都駅に迎えが来るはずです」
そう松一と永賢尼は、やり取りをしている。
愛子は、ウツ病による屈託もあって、内心で毒づきながら想わざるを得なかった。
本当に皇軍の到来によって、京都と大阪の往来が便利になったものだ。
現在、本願寺は摂津の石山(大阪)から、京の都の中に移転済みである。
これは石山本願寺の跡地を中心に、日本経済の中心地を作ろうという日本政府の構想と、京都への帰還を懇望していた本願寺の思惑が一致したことから、移転が為されたのだった。
そして。
政治の中心である京都と、経済の中心の大阪を結び付けようと、日本、いや世界初の鉄道が敷設された。
(尚、この敷設には色々と問題が多発したが、ここでの説明は省略する)
愛子が夫と共に大阪に住まいを定めた約2年前には、鉄道完成祝いがなされたばかりだった。
そして、鉄道によって1時間30分程で京都と大阪は結ばれたことから、歳月の流れにつれ、鉄道利用者は増える一方になっている。
永賢尼もそれを活用して夕食を子どもと食べて、京都に帰るつもりという訳か。
愛子は、少なからず捻くれながら内心で毒づいたが。
周りは愛子の想いを完全に無視して夕食の準備に取り掛かった。
少し補足すると、1552年1月現在、日本国内(というか世界中)で鉄道が敷設されているのは、京都と大阪の間だけです。
日本国内で鉄道敷設は全く進んでおらず、これ以上の鉄道敷設計画も全く白紙の段階です。
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