第62章―15
1600年9月上旬、ローマ帝国軍のモスクワ攻囲が始まってから2月近くが経った頃、モスクワ防衛軍は徐々に絶望的な状況に陥っていた。
「モスクワに食料を運び込んで長期に亘って抗戦していれば、ローマ帝国軍が根を上げる。もし、ローマ帝国軍が強攻してくるならば、それはそれでモスクワ市街を舞台としての抗戦で一泡吹かせることができると考えていたのだが、物事は上手く行かぬものだな」
モスクワのクレムリンの中に籠っているボリス・ゴドゥノフは、側近に対してそう言わざるを得なかった。
「御意」
側近にしても、それ以上の言葉が出ないのが現実だった。
モスクワに籠城している兵及び市民だが、兵糧だけならば後半年以上は抗戦可能な程に備蓄があるのだが、その一方で疫病が蔓延しつつある。
時代的にやむを得ないと言うか、ボリス・ゴドゥノフ以下のモスクワ大公国政府首脳に衛生概念が基本的に欠けていたのが、この疫病発生の最大の原因なのだが。
仮に衛生概念等の知識があったとして、対処できるかと言うと困難なのが現実だった。
何故ならば、本来よりも多い人口を抱えた状態にモスクワはあったからだ。
こうなった最大の原因は、モスクワ防衛のため、更に自分や家族を守るために、多くの貴族が私兵を募った上でモスクワへと集ったことだった。
更にモスクワ防衛に当たる将兵の裏切りを避けるために、モスクワ大公国の政府は、少しでも多くの将兵の家族もモスクワに駆り集めたのだ。
そのために平時の2倍を超える人口をモスクワは抱え込んだのだ。
更に言えば、そういった状況に対応できるだけの上下水道を始めとする衛生設備等、この時代のモスクワにある訳が無かったのだ。
こうしたことから、モスクワへのローマ帝国軍の攻撃が始まる以前から、赤痢、腸チフスといった疫病が徐々にモスクワの民の間では広まっていた。
更には発疹チフスまでが、ローマ帝国軍の攻撃が始まった直後に発生したのだ。
そして、ローマ帝国軍の攻囲は、モスクワ防衛に当たる将兵やモスクワの住民に心身の疲弊をもたらし、そのことが更に疫病の蔓延を引き起こすことになった。
モスクワ防衛に当たる兵や住民を合わせれば、ローマ軍の攻撃が始まる直前のモスクワには約50万人が籠っていた。
だが、2月近く経った現在、その2割以上が疫病に倒れつつあり、累計の死者は1万人を超えている惨状を引き起こしていた。
後1月も経てば、最悪の場合はモスクワにいる兵や住民の半数が疫病で倒れてもおかしくない、と医学の心得がある者の多くが診立てる状況になっていた。
ボリス・ゴドゥノフは考えた。
先日、自らの娘のクセニヤ・ゴドゥノヴァが薨去した。
モスクワで発生している発疹チフスにり患した将兵を直に病院で激励しようと見舞った際に、自らも発疹チフスにり患したことによって生じた悲劇だった。
日本がもたらした医学知識は、発疹チフスが伝染病、疫病であるのは明らかだとしており、そこに見舞いに行くのは危険極まりない、と医師団どころか自分までも止めたのだが、モスクワを守るために集った将兵を激励するのは高貴なる貴族の義務として、クセニヤ・ゴドゥノヴァは将兵を見舞い、その果てに発疹チフスに倒れたのだ。
娘は高熱にうなされて、最期には様々なうわ言を言ったそうだが、
「神よ、どうか祖国を救って下さい」
という言葉をその中で発したとか。
このままでは他の民や兵も、娘と同じ事態に見舞われるだろう。
少しでも民や兵を助けるならば、それに疫病に侵されつつあるモスクワ市民が、自分達貴族に対する不穏の色を濃くしつつあることまでも考えるならば。
ボリス・ゴドゥノフは最早、非常の決断を下さねばならないと考えた。
ご感想等をお待ちしています。
尚、この1600年当時のモスクワ市の人口については割烹で補足します。




