プロローグー2
もっとも、上里愛子が憂鬱なのは、単純に育児ウツだけとも言い難かった。
何しろ愛子は、生まれたのがマニラであり、その後で育ったのもマニラ、琉球と暖かいというより暑いところばかりである。
その愛子にしてみれば、今いる日本の大阪の冬は身を切るように寒く感じられてならず、更に冬の日中も短いことから、季節性ウツも併発していた。
そして、実は養女、長女の美子も、ややそんな様子を示していた。
何しろ美子の生まれ育ちはシャムのアユタヤであり、アユタヤを出て初めて住んだのが大阪なのだ。
養母の愛子と同様に冬の寒さが身に染みてならず、養父の上里松一が半ば呆れる程、厚着をしている。
(そういう松一も、生まれ育ちが琉球(沖縄)なので、江田島の海軍兵学校に入った当初は、冬の寒さに耐えかねたのだが、今では大分慣れていた)
だから、上里家の買い物等は、ほぼ完全に下男や女中任せになっている。
松一は仕事で、長男の勝利は中学2年生として、次女の和子は小学3年生として、家族の内3人は外出せねばならないが、それより下の子(特に末子の清)の育児があるという理由で、愛子と美子は家に籠った生活をできる限り送ろうと画策していた。
そんなことから、季節的に愛子と美子は、傍から見れば、妙に気が合った生活をしていた。
そして、清が寝ていることもあり、母娘は暇つぶしに話し合った。
「ところで、妹の和子は初等女学校に行かせるの」
「行かせるって、お父さん、松一は言い張っているわ」
「そう」
愛子の言葉に、美子は考えこんだ。
やはり、私も行けば良かったかな。
今の日本の学校制度は、小学校が4年制でここは男女共学だが、それから上は男女が分かれる。
男子は中学校が4年制、高等学校が4年制、大学(及び陸軍士官学校、海軍兵学校)が4年制だ。
一方、女子は初等女学校が4年制、高等女学校が4年制、女子高等師範学校が4年制になる。
ちなみに学費は、公立なら小学校から大学まで完全に無料になっている。
これは、当時の日本国内事情からやむを得ず、そうなったのだ。
何しろ、戦国時代である。
いわゆる寺子屋等が、日本国内に普及したのは江戸時代に入ってからであり、この頃は主に家庭教育で、読み書きを学ぶのが通例だった。
だから、親がいわゆる文盲なら、子も文盲になるのが当たり前になる。
だが、それでは国民の教育水準が上がらないし、いわゆる皇民教育を日本の国民全てに施す必要がある、と皇軍の面々が考えたことから、小学校は義務教育ということにしたのだが。
寺子屋等を知らず、子どもを学校に通わせるということを知らない当時の庶民の間では、小学校の授業料を払うくらいなら、子どもを通わせないという親が続出したのだ。
そのため妥協案として、公立の小学校は完全無料化せざるを得なかった。
更にこのことは結果的に国民の間に、公立の教育機関は無料が当然、税金で全てが賄われるべき、という意識を受け付けてしまった。
(もっとも、これはこれで良かった側面もある。
自分達の支払った税金で、公立の教育機関は建設、維持されるのが当たり前、という意識が国民の間に養われていくことになったからである。
日本の学校が、貧困層にも通いやすくなったのは、このためだった)
美子は来日した時、既に初等女学校3年生の年齢に達しており、編入学しようと思えばできたのだが。
美子は血筋から言えば生粋のシャム人(なお、松一の養子となったので、日本国籍を取得して日本人になっている)であり、編入学したら周囲から浮くのが目に見えていたので、嫌がって断ったのだ。
(なお、家庭教育で初等女学校卒程度の学力を、美子は持っている)
だが、今になって美子は後悔していた。
実は美子(タンサニー)は学校に通ったことは無かったのです。
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