第61章―10
イェジ・ムニシェフは考え込んだ。
ドミトリー皇子が実は生きている、更にはポーランド=リトアニア共和国に亡命している、そういった噂を密やかに自分やその同志は流している。
その理由だが、言うまでもなくウクライナを失陥した祖国ポーランド=リトアニア共和国の力を回復させるため、更にはモスクワ大公国をカトリックの治める国にするためだ。
ドミトリー皇子をモスクワ大公に即位させるという大義名分を掲げて、自分達はポーランド=リトアニア共和国軍をモスクワに進撃させるつもりだったのだが、その内容のかなりの部分がローマ帝国上層部に漏れているようだとは。
尚、このドミトリー皇子は言うまでもなく偽者である。
実はポーランド国王ステファン・バートリの私生児だ。
ステファン・バートリは偉大な国王だったが、嫡出子を遺さなかったのだ。
そして、嫡出子でない以上、この私生児にはポーランド王の継承権は無かった。
だが、この私生児が父の血を承けて、それなり以上の才幹を示しつつあることから、自分達はこの私生児が実はドミトリー皇子だということにして、モスクワ大公にしよう、更にはウクライナで失った国土をモスクワ大公国から割譲させることで、ポーランド=リトアニア共和国を強化しようとも考えたのだが。
更にはこの企みには、他のマグナート(大貴族)達やイエズス会に属する聖職者達も、それなりの人数が加担している。
厳密に言えば、イエズス会にしてもその一部がこの企みに加担している。
「東西教会の合同」は多くのカトリック修道会に激震を奔らせた。
多くのカトリック修道会は、「東西教会の合同」を主張していたが、それはあくまでもカトリックが主導する形での「東西教会の合同」だった。
だが、現実に為された「東西教会の合同」は東方正教会が主導するものであり、それこそカトリック側にしてみれば、フィリオクェ問題で譲歩を強いられる等の屈辱的な「東西教会の合同」だった。
こうしたことから、多くのカトリック修道会が紛糾することになった。
最終的には多くのカトリック修道会が「東西教会の合同」を受け入れたが、そうは言っても内部では一皮むけば、このような「東西教会の合同」は受け入れられない、それなりの行動を執るべきだと主張する者が結構いたのだ。
イエズス会もそういった修道会の一つで、渋々「東西教会の合同」を受け入れたものの、その背後に日本の影がちらつくのが、一部の会員にとって許し難いことのように感じられてならなかった。
何しろ創設メンバーの一人であるフランシスコ・ザビエルの遺体が、日本軍の手によって火葬にされたのは50年程前のことであり、その衝撃が完全に冷めているとは言い難いのが現実だった。
こうしたことから、江戸の敵を長崎で討つではないが、日系諸国に近いとみなされているローマ帝国に一泡吹かせようと、イエズス会の一部が偽ドミトリー皇子擁立計画に加担する事態が起きていた。
だが、実際に偽ドミトリー皇子をモスクワに進軍させるにしても、ポーランド=リトアニア共和国軍はローマ帝国とのウクライナ戦争によってかなりの打撃を受けており、再編強化に手間取っているという現実があった。
更には、その陰謀の尻尾がローマ帝国に掴まれているような状況にあっては。
イェジ・ムニシェフは、この現実に向き合って熟考した。
これは陰謀の同志に偽ドミトリー皇子擁立計画を諦めるように言うべきだろう。
下手をすると、三つ巴の戦争をやることになる。
我が国には、これ以上の領土を失う余裕はない。
娘を将来の皇后にして己の栄達を図るのか、と陰謀の同志から轟々たる非難がされるだろうが、それくらいは甘受せねばならないだろう。
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