プロローグ―1(第11部)
第11部の始まりになります。
尚、このプロローグ時点では1600年の春(史実で言えば、関ヶ原合戦の起きた年)になります。
1600年4月、上里美子は学習院の初等部の3年生になっていた。
尚、美子の実母は上里愛だが、今の美子にとっては「愛お姉ちゃん」で、美子の両親は上里清と上里理子ということになっている。
上里愛は美子の養母でもある理子の養女になっているからだ。
更に言えば、その4人が今は家族として同居していた。
だから、世間常識からすれば極めてややこしい関係のようだが、美子にしてみれば物心つく前からそうだったといえるし、今では周囲もそれなりに受け入れている関係になっている。
ちなみに上里愛の旧名はアーイシャ・アンマールといい、元はオスマン帝国の国民で、上里美子の実父の上里清がアンカラに駐在していた時には清の愛妾になっていた。
そして、美子が二人の間に産まれた後、清は日本に帰国することになった。
それで、アーイシャ・アンマールと清と理子が話し合った末、アーイシャ・アンマールが理子の養女になって日本国籍を取得して上里愛と改名して、愛は日本に来たと美子は聞かされている。
今でも父さんと愛お姉ちゃんの関係はあるのかな、とませた美子は考えたことがあるが、どう見ても父娘の関係のようにしか見えないし、実際に二人共に否定するのでそうなのだろう、と美子は考えている。
もっともそんな風に美子が割り切れるのも、皮肉なことに学習院に通っているためとも言えた。
何しろ学習院は官位を持つ者の子どもが通うのが原則である。
実際に美子の父の清は、先年に陸軍少将に任じられており、その際に従五位下に叙せられていることから、美子が学習院に入学できていたのだ。
(細かいことを言えば、美子からすれば義理の伯父になる織田信長が首相の時代に、有為の人物に門戸を開くという建前から、官位を持たない者の子どもでも学習院に門戸を開いているが、そうは言っても親が官位を持つ者の方が学習院では今でも多数派であり、そういったことから学習院に通っていると言うと親が官位を持っていると大抵の人が考える現実があった)
そして、官位を持っている者の多くが公家であり、公家の多くが今でも公然と妾を抱えていて、当然のように妾との間に子どもを持っていた。
だから、学習院の児童生徒では、美子のように実の両親が結婚していない者が稀ではない。
(最も流石に美子のように実の両親が義理の父娘というのは他に同級生にはいないが)
そのために美子は妾の子とかの色眼鏡で見られることは無く、普通に同級生に溶け込めていた。
それに美子には自覚が無かったが、それなり以上の閨閥が美子のバックにあるという事情もあった。
上里家自体は「皇軍来訪」によってこの世界に来た存在であり、新参者にも程がある家だった。
だが、上里家の初代と言える松一の長女(?)は織田美子であり、正一位に叙せられた故織田信長首相の妻であり、自身も正二位に叙せられた元尚侍になる。
又、松一の四女の九条敬子は摂家の九条兼孝の正室になる。
松一の嫡男の清の娘である美子にしてみれば、頼りになる閨閥、バックだった。
更に美子のこの閨閥は外国にも通じており、松一の長男の上里勝利はローマ帝国の大宰相であり、又、次女の武田和子は北米共和国の現大統領の武田信光の実母になるのだ。
又、美子と血は繋がっていないが、織田信長の甥になる浅井亮政は、ローマ帝国の女帝エウドキヤの皇配であり、その実妹になる小督は北米共和国の前大統領の徳川家康の嫡男になる徳川秀忠に嫁いでいて、その長女の完子は今では学習院に留学していて、美子の同級生になっていた。
こういった様々な縁がある以上、同級生を始めとする美子の周囲は、一目置くどころではない態度を美子に対して執るのが当然になっていたのだ。
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