第2章ー1 今後の行動方針と実際の最初の行動
第2章の始まりになります。
1541年12月17日午前、過去(?)に赴いた大日本帝国陸海軍の将官全員が集った会議が、マニラ総督府(?)に於いて開かれていた。
ちなみに、マニラ総督を誰にするか、というのも、この会議の議題の一つである。
「まず、我々が最初に考えるべきことは、祖国日本に向かうことと、燃料等の確保だ」
この場にいる陸海軍の最上位の将官として、議長役を務めることになった山下奉文中将が、会議の冒頭で発言し、その場にいる陸海軍の将官全員が考え込むことになった。
かつての世界でいうところの蘭印、そういった島々があるらしいことは、マニラの住民の話から分かった。
だが、そこに本当に油田はあるのか。
あっても、かつての世界にあったものとは、比較にならない小規模なモノかもしれないのだ。
(勿論、逆に大規模な油田があるかもしれないが、暗中模索といっても過言でない状況に置かれている以上、悪い事態を想定せねばならないのは、やむを得ない話だった)
とはいえ、全く動かないという選択肢は無い。
全く動かないままでは、燃料は減る一方だからだ。
「小規模な艦隊に護衛させて、まずはボルネオ、より正確に言えば、ブルネイを確保しますか。マニラの住民の話を信じるならば、ですが、ブルネイの辺りに王国はあるものの、都市国家に毛が生えた程度の国家とのこと。それこそ完全装備の歩兵1個大隊を差し向ければ、ゲリラ戦を展開されなければ、充分にブルネイを日本領にできるでしょう。それ以外の部分のボルネオ島については、追々確保することにしましょう。それにより燃料を確保するのです」
高橋伊望海軍中将が言った。
ボルネオ島、ブルネイのすぐ傍には、いわゆるセリア油田がある筈だった。
現状において、すぐに手に入りそうな油田の第1候補と言え、この場にいる陸海軍の将官からは、特に異論は出なかった。
本来なら、他の油田候補地も確保し、そこで油田の試掘を行いたいところではあったが。
「既に燃料の底を気にしないといけない有様ですからな。更に言えば、油田を採掘し、精油するにしても、そのための機材が、そんなに無いか」
第48師団長の土橋勇逸陸軍中将が、半ば自嘲する独り言を吐いた。
まさか、いきなり日本本土と連絡が取れなくなる等、思ってもいなかったのだ。
油田を確保した後、油田を本格的に開発する資材は、日本本土から運ぶ予定だった。
念のための試掘資材と、簡易の精油用の機材が、手元に無くは無かったが、予備までかき集めても、更に史実通りにセリア油田があっても、一部の稼働が精一杯だ。
試掘資材と精油機材の量産体制ができない限り、我が精鋭なる大日本帝国陸海軍は、燃料不足に苦悩せざるを得ない。
そのために、確保する油田も、セリア油田のみに絞ることになったのだ。
土橋中将が、半ば自嘲するのはもっともだが、もう一つ理由があった。
第48師団は、馬匹を廃した完全車両編成の日本軍初の機械化師団の2つの内の1つだったのだ。
(ちなみにもう一つが、第5師団であり、マレー半島侵攻作戦に当たる筈だったが、連絡が今や取れない有様に陥っている)
そして、フィリピン侵攻作戦で偉功を挙げ、蘭印までも進もうと考えていたのに。
今や機械化師団ということが却って足枷になっている。
燃料不足が懸念される以上、機械化師団である第48師団は動かせない、というのが、この場にいる陸海軍の将官の暗黙の事前了解となってしまっていたのだ。
土橋中将が、幾ら腕を撫でて切歯扼腕しようとも、第48師団は基本的に動けないのだ。
そうしたことから、土橋中将が師団長を務める第48師団は、マニラ周辺からルソン島の制圧に当たることが、会議前に半ば決まってしまっていた。
ご感想等をお待ちしています。