第59章―40
そんなことが1595年11月初めに有ったのだが。
羽柴秀頼は、そのすぐ後にコンスタンティノープルに向かう事態が引き起こされてしまった。
(言うまでも無いことかもしれないが)実父の羽柴秀吉が病死したのだ、
とはいえ、距離等の様々な問題から、羽柴秀頼が実父の下に駆けつけられたのは、11月半ばということになり、それこそ羽柴秀吉は(この世界では東方正教徒になっていたこともあって)父の羽柴秀吉の遺体の土葬が終わった後になって、羽柴秀頼は父の墓に詣でることになった。
そして、父の墓参りを済ませた後、羽柴秀頼は正妻の伊奈氏と話し合っていた。
「予め覚悟していてはいたが、父の葬儀の喪主を務められなかった、色々大変だっただろう」
「いえ。(義母の)お寧様が喪主として全て取り仕切られたので、私は大丈夫でしたよ。唯、私の実家とのやり取りは複雑だったようです」
「そうか」
尚、完全な余談に近いが。
羽柴秀頼と伊奈氏は、幼馴染どころか義理の姉弟(?)でもあった。
(以前にも描いたが)羽柴秀頼は、羽柴秀吉が愛人に産ませた子で、お寧と血はつながっていない。
そして、羽柴秀頼が産まれたことは、羽柴秀吉とお寧、愛人の一大修羅場を引き起こした。
更に言えば、それに現在では日本の外相を務めている小早川道平は巻き込まれたのだ。
(尚、その時に小早川道平は、インド株式会社の一正社員に過ぎない20代前半の若者だった)
小早川道平は、羽柴秀吉とお寧、更に愛人のお南、それぞれの主張を聞いて、骨を折った末に。
秀頼は羽柴秀吉とお寧の養子にして、お南には手切れ金(慰謝料)を払うという形で、話をまとめたのだが。
お寧はお南がよりを戻そうとするのでは、と考え、お南も子どもまでできながらも弄ばれてお終いなのか、と考え、ということで双方が不満を抱え込んでしまった。
そうしたところに、北米植民地(後の北米共和国)から伊奈忠次が、五大湖やミシシッピ河の運河、水路建設を学ぶために、パナマへ来たのだが。
不幸なことに、伊奈忠次の妻が出産の際に亡くなって、産まれたばかりの子を含めれば3人の子を、伊奈忠次が抱える事態が起きてしまった。
それを見た小早川道平が奇貨居くべし、と動いた結果。お南は伊奈忠次の後妻になったのだ。
そして、5年も経たない内に、伊奈忠次はお南及び自分の子と共に北米植民地に帰るつもりだったのだが、生憎とそこに起こったのが北米独立戦争だった。
羽柴秀吉が奔走して、伊奈忠次らはパナマ運河建設に必要不可欠な人材だ等と訴えたことから、北米独立戦争中も安楽に伊奈忠次らは暮らすことができて、北米独立戦争終結後に伊奈忠次らは北米共和国に無事に帰国できた。
だが、その一方で、羽柴秀頼と伊奈忠次の先妻の子である伊奈氏が、結果的に幼馴染として仲良くなる事態も引き起こされてしまい、二人は結婚することになったのだ。
(尚、余談ながら、伊奈氏は羽柴秀頼より2歳年上で、姉弟として仲良くなり結婚にまで至った)
話を元に戻すと、
「父は、きっと天国に赴けただろう」
羽柴秀頼はそう言った後で、妻に改めて言った。
「そういえば、北米共和国は、どのような状況にあるのだろう。ずっと自分はウクライナにいたので、気になる。君が分かる範囲で教えてくれないか」
「そう言われればそうですね。本当に色々とあったようですよ」
伊奈氏は、そう夫に答えて、更に頭の中を整理しながら考えた。
本当に何から話せばよいのだろうか。
北米共和国は先年に大統領が徳川家康から武田信光に変わった。
この辺りは、様々な宗教が絡んだ裏話があるらしいが、どこまで自分は正確に伝えられるだろう。
他にも裏話が幾らでもあるとか、悩ましい話だ。
これで第59章を終えて、次話から北米共和国の現状等が主体の第60章になります。
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