第59章―18
そういったローマ帝国内の様々な協力が相まったことが、徐々にポーランド=リトアニア共和国軍の遊撃戦を封じていくことになっていった。
(尚、言うまでもないことかもしれないが、こういったローマ帝国の対策が実際に動き出したのは7月に入ってからのことであり、更に目に見える形で効力を上げるようになったのは8月以降の話になる。
様々な準備を行って実行するとなると、どうしても時間が掛かるのだ)
実際問題として、現実に遊撃戦を展開する上で必要不可欠になるのが、住民からの有形無形の協力なのだが、ローマ帝国がウクライナの住民に対して行った方策は、徐々にポーランド=リトアニア共和国へのウクライナの住民の民心を引き離していくことになったのだ。
「多少、余裕があるから、農地を放っておいて、ローマ帝国がやっている道路の建設を手伝おう」
「俺もそうするか。何しろ日銭は稼げるし、昼の食事も出る」
「見慣れぬ食事がよく出るのがかなわないがな」
「でも、大抵は美味いし、タダだから文句も言えないよな」
「全くだ」
一例を挙げると、7月以降にはそんな会話を交わした末に、ローマ帝国が道路や軽便鉄道の建設を行うのに協力する住民は増えていく一方になっていた。
石田三成は、道路や軽便鉄道の建設に協力する住民に日銭を支払うと共に、ジャガイモを中心とする料理を昼食として振舞っていた。
昼食として提供することで、ジャガイモの美味さを住民に教えて、ジャガイモ栽培をこの地に広めたいと考えたことからの方策だった。
実際、ジャガイモの美味さを覚えた住民は、ジャガイモ栽培についてローマ帝国の面々に尋ねて、自らも栽培を試みよう、と考えつつあるようだ。
「5年程は免税穀物扱いにして、住民の間に更にジャガイモを広めていくべきかな。そうすれば、ウクライナの大地から飢きんを大幅に減らすことができるだろう」
そんなことまで、石田三成は考えるようになっていた。
(尚、先走ったことを言えば、石田三成のこの考えは、浅井亮政を介してローマ帝国政府の最上層部にまで届いた末に、もっともな考えであると嘉納されて後に認められることになった。
更には、
「ウクライナが豊作ならば、欧州では餓死者は一人も出ない」
と謳われる程の穀倉地帯にウクライナがなっていく発端に、ジャガイモの件はなっていった)
ともかく現金収入が得られて、食事まで食べられるのだ。
住民にしてみれば、ローマ帝国の道路や軽便鉄道の建設に協力するのが当然になっていった。
何しろこれまでのポーランド=リトアニア共和国の統治体制においては、道路建設等は賦役によって当然に行われており、住民にしてみれば手弁当のただ働きで行うのが当然だったのだ。
それが、ローマ帝国では道路建設を行えば、食事も出るし、現金収入を得られるとは。
多くの住民が、ローマ帝国に加担しようと考えることになった。
(更に言えば、ウクライナの住民の多くが、ローマ帝国に加担したのには宗派対立もあった。
ウクライナの住民の多くが東方正教徒であるのに対し、ポーランド=リトアニア共和国の支配層は基本的にカトリックなのだ。
そして、ローマ帝国は東西教会の合同を訴え、全てのキリスト教徒の守護者を女帝エウドキヤは自称してもいるが、女帝エウドキヤが東方正教徒なのは皆が知るところでもあった。
こうしたことから、宗派対立からもポーランド=リトアニア共和国を見限って、ローマ帝国に加担するべきだ、と考えるウクライナの住民は増える一方という事態が起きた)
ともかく、こういったウクライナの住民の意識の変化を、ポーランド=リトアニア共和国軍も感じるようになり、その対策を講じる方向に動くことになった。
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