第58章―15
そんなことがコンスタンティノープルにおいて、女帝エウドキヤや羽柴秀吉らの周囲で考えられていること等、その頃のルーマニアの大地では分かる筈が無いことだった。
(実は作中では明記にしていなかったが)フランス軍の将兵がルーマニアの大地にたどり着いて、部隊の再編制が行われて、更に訓練が行われて半年近くが過ぎ、ようやくフランス軍もそれなりの形を示して戦えるようになりつつあった。
フランス軍の将兵のほとんどがボルトアクション式小銃の扱いに慣れ親しみ、他の軽機関銃や擲弾筒といった支援火器の運用についても、それを扱うようになった者は習熟するようになっていた。
又、超促成としか言いようがなかったが、貴族を中心に士官教育も改めて行われ、これまでフランス内戦で経験していた実戦経験も相まって、佐々成政以下のローマ帝国軍の日系士官に言わせれば、
「大負けに負けてやれば、実際の戦場で戦えるとフランス軍は言ってやれるかな」
と何とか言われるレベルになっていた。
(裏返せば、現状では最前線でフランス軍を戦わせることは極めて困難ということでもあった。
何しろ日本や日系諸国では第二次世界大戦レベルの戦場を想定して、訓練等が行われているのだ。
だから、例えば、歩兵、砲兵、騎兵の三兵を基本兵科とアンリ4世以下のフランス軍は考えて、ルーマニアへと赴いていたのだが、それ以外の兵科が存在等するのを知らされて驚く事態となっていた。
勿論、フランス軍にも輜重兵等、三兵以外の兵科が従前から存在していなかった訳ではない。
だが、フランス軍にしてみれば、機甲(戦車)科や航空科等はルーマニアで初めて実見する代物であり、又、騎兵科はローマ帝国ではほぼ消滅している等、400年の時代の違いは余りにも大きかった。
こうした違いを理解することから、フランス軍は始めねばならず、フランス軍は独立歩兵大隊として戦うことは今は何とかできても、それに加えて戦車や軍用機を有機的に組み合わせて戦うことどころか、榴弾砲等を間接砲撃で運用して、歩兵の支援を行わせることさえも一苦労なのが現実だった)
そして、そのようにローマ帝国軍の幹部に見られていることを、アンリ4世以下のフランス軍幹部の面々も実戦経験があるだけに痛感しており、訓練等に励んでいたが、そうはいっても休日を作らない訳にはいかない。
人間どうしても肉体的、精神的な疲労が蓄積するからである。
そうしたことから、設けられたある休日の夕刻、アンリ4世は浅井亮政と双方の側近を交えて、酒を交えて食事をとりながら懇談をしていた。
「もう少ししたら、ウクライナの大地に我々は侵攻する予定です。フランス軍の方々には、かつてローマ帝国軍の背骨と謳われたガリア兵の末裔たる気概を示していただけるものと期待しています」
「古い話を持ち出されますな。ですが、そうローマ帝国の女帝の皇配に言われては、我々もその言葉に応えざるを得ませんな」
浅井亮政とアンリ4世はやり取りをし、その周囲をも含めて色々と思わざるを得なかった。
ローマ帝国がローマを首都としていた頃、ローマ軍団の兵の多くがガリア、フランス出身の兵だったのだ。
そうなった経緯は色々とあるのだが、浅井亮政はその歴史を示唆し、アンリ4世としても、その歴史に思いを馳せざるを得なかった次第だった。
二人やその周囲は想った。
ローマ帝国軍のウクライナ侵攻。
これはどのような経緯を経て、どのように決着することだろう。
願わくばローマ帝国の大勝利に終わってほしいものだが、戦には相手があることだ。
本当にこの戦争が、ローマ帝国、フランス王国両国にとって共に良い結果になることを心から望まざるを得ない話だ。
これで第58章を終え、次から新章になって、ローマ帝国軍のウクライナ侵攻作戦の実際に移ります。
(とはいえ、最初の数話は侵攻作戦の背景等の事前説明話になります)
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