第56章―3
さて、こういった動き、核分裂や核融合の反応を利用した兵器(以下、「反応兵器」と呼称)の研究開発に、上里家の面々の中で最初に巻き込まれたというか知ったのは、織田美子と小早川道平だった。
美子は貴族院の重鎮議員として、更に事実上は政権与党の労農党シンパとして活動している。
又、道平は外相として木下小一郎内閣の一員であり、これまでの経歴も相まって内閣の中でも重要閣僚の1人として処遇されている。
こうしたことから、この二人は政府の枢要人物として、反応兵器に関する研究開発のための大規模な費用を国家から支出することについて、政府等から個別説明を受けて把握することになったのだ。
(尚、そういった大規模な費用支出について、この頃に反応兵器のためというのが正式に説明されたのは、それこそ一部の要職等にある幹部の国会議員等だけであり、例えば、伊達政宗のような一年生議員等にはそういった説明が、機密保持の観点から省かれていた。
更に言えば、機密保持の観点から様々な名目で複数の項目建てをして分散して、反応兵器の研究開発に費用を投入するような措置まで講じられており、尚更、一般の国会議員(更には国民等)からは分かりにくくなっていた)
さて、木下内閣の一員である小早川道平は、反応兵器の開発について、現実的な観点(他国が反応兵器を開発保有するリスクからすれば、日本が開発保有しない訳には行くまい等の考え)から、日本は粛々と行うしかあるまい、と透徹した目で見ることができたが。
既に政治から徐々に引退しつつある織田美子は、反応兵器の開発を日本が行うことについて、政治家としての観点からは行わざるを得ないことに理解を示したが、そのための説明に自分の下に来た陸軍省と大蔵省の幹部に対して、個人的な感情から、皮肉をどうにも飛ばさざるを得なかった。
「取り敢えずというか、こちらが準備した資料等に基づく説明は以上です」
陸軍省から派遣されたある少佐がそのような言葉で説明を一通り終えた後、美子は口を開いた。
「本当にねえ。私が子どもの頃は火縄銃が最新鋭の武器で、大砲にしても石の弾を撃つものがあったというのに、気が付けば銃も大砲も進歩する一方で、更には車が出来て戦車が出来て、帆船もいつの間にか汽船が当たり前になって、今では飛行機が空を飛ぶようになり、更には月にまで届くようなロケットを開発しようとする時代になるとはね。本当に時が経つのは早いわ。更にこんな兵器を開発しようとするとはねえ」
美子の言葉の意図がすぐには分からず、幹部二人が黙ってお互いの顔を思わず見合わせると、美子は更に口を開いた。
「それで、この兵器が本当に開発できて、更に実戦で使用できるようになったとして、それはどこの国との実戦に際して使われるのかしら。私の弟妹がいる国に対して使うつもりなの」
「「それは」」
幹部2人は共に口ごもらざるを得なかった。
幹部2人は美子の言いたいことを共に察した。
美子の弟の上里勝利はローマ帝国にいるし、美子の妹の武田和子は北米共和国にいる。
そして、反応兵器を日本が実戦において使用するとなると、当然にローマ帝国や北米共和国が想定される国になる。
更に言えば、美子の弟妹がいる国が、何れは反応兵器を持つのではないか、という疑惑を日本は抱いているということを公言することにもなりかねない。
そして、それへの両国の対応を考えるならば。
「ともかくこの兵器の開発を止めろ、とは流石に私も言いません。ですが、そういったことも考えあわせて、この兵器の開発は行い、諸外国との協調を考えるべきです」
美子はその場ではそう言って、実際にこの後に周囲に働きかけることになった。
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