第55章―20
上里清は、義理の娘の上里愛に言った。
「そもそも論から言えば、愛はオスマン帝国人で、民本主義とはずっと無縁だったからな。今のオスマン帝国上層部でさえ苦労しながら、民本主義を理解しようとしている段階だ。一般のオスマン帝国人にしてみれば、民本主義思想から行われる国会議員や地方議会議員、更には地方自治体、市町村長の選挙といったもの等、想像もできないことだろう。愛にしても、日本人になるまで全く知らなかったことだろう」
元の主である義父の清の言葉に、愛は無言で肯くことしかできなかった。
実際に一時は奴隷にまで堕ちていた愛にしてみれば、民本主義に基づく国民、住民の意思に基づく選挙によって、議員や地方自治体の長を選ぶこと等、自らが日本人になって、義理の両親にそのことを教えられるまで、全く想像さえできていなかった事態だった。
清の言葉は、更に続いた。
「民本主義というのは、民の声が大きい政治である一方、その権利がどこまで認められるのか、という政治という側面もある。日本で言えば、本国の住民が国政を決める権利、衆議院議員を選ぶ権利を持つ一方で、植民地の住民にはそういった国政を決める権利が無いと言っても良い。実際に植民地に住む日本人の住民の多くがその点については、大きな不満を内心では抱いている。何故に本国と同じ日本人なのに、自分達は衆議院議員を選べないのかと。それこそ、愛のように日本人と結婚したり、養子になったりすることで、日本人になった外国人が日本本国に住めば、衆議院議員を選ぶ権利があるというのを見せつけられては、尚更に不満を抱くことになる。更に言えば、例えば、伊達政宗は衆議院議員にまでなっているが、その弟の秀宗は南米植民地に住んでいるから、衆議院議員になるどころか、衆議院選挙に際して一票を投じる権利さえない。こんな状況に置かれて、植民地に住んでいる日本人が不満を持たない、と愛は考えられるかな」
義父の長広舌を聞いた愛は、無言で首を横に振って、更に考え込んだ。
愛は考えた末に言った。
「植民地の日本人にも、国政を決める権利を与えれば済む話では」
「そう簡単に済めば良いのだけど」
愛の言葉を聞いた理子が口を挟み、更に続けて言った。
「そうなると本国の国民の国政への発言権が減るという現実があるのです。例えば、これまで本国の約2000万人から衆議院議員を選んでいたのに、植民地に住んでいる日本人を併せれば約2600万人から衆議院を選ぶことになります。当然に本国の住民の国政への発言権が減ることになります。概算になりますが、約120の衆議院議員が植民地から選ばれることになると言われています。そうなると500から約380へと本国から選出される衆議院議員は減ることになります。こういったことを言われると、多くの本国の住民が拒否感をどうにも感じてしまうことが多いのです」
理子は少し長い言葉を連ねて言った。
そして、妻の言葉に清は無言で肯いた後で言った。
「更にそう言った現状に日本があることを、諸外国、中でも日本と関係の深い国は熟知している。そして、そういった国全てが日本と恒久的に仲良くできる訳ではない。表面上は友好的でも、裏では別のことを何時か考えていてもおかしくないのだ。そして、そういった国が、この現状を裏で煽る危険性を、日本政府としては考えない訳には行かない」
義理の両親の言葉に、愛は無言で肯くしかなった。
「ここまで考えてしまうのも、私の姉二人の姉妹喧嘩のためもあるのだが、全くの杞憂という訳でもないのが、愛なら分かるだろう。本当に厄介だ」
「本当に厄介ですね」
義父の言葉に対し、愛はそれだけしか言えなかった。
念のために申し上げますが、話中で「民本主義」となっているのは誤字ではありません。
この世界の日本は天皇主権国家ですので、民主主義ではなく民本主義を唱えています。
これで、第55章を終えて、次から新章になります。
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