第8章ー6
そんな数々の気の重い話を、小沢治三郎提督率いる連合艦隊の司令長官副官として着任早々に、上里松一大尉は聞かされる羽目になったが。
上里大尉の実務自体は、当初は極めて順調に進んでいくことになった。
まず、本来の最大の任務と言える日本の同盟国ジョホール王国との協調関係確認である。
小沢提督の傍で副官兼通訳としての任務を、上里大尉は務めることになり、ジョホール王国の王宮訪問にも小沢提督と共に上里大尉は同行した。
そして。
「商人の身でありながら、軍属としてマレー語の通訳になられているとは」
「いえ、これが本職でして」
「軍人兼商人とは。多才な方ですな」
そんな半ば冗談を、ジョホール王国の高官と上里大尉は交わすことにもなった。
それこそジョホール王国と日本との同盟締結の下交渉の場において、上里大尉は表面上のカバーであるアユタヤの大店「上里屋」の主人として活動している。
だからこそ、上里屋の主人が、実は日本海軍大尉であることを知らされたジョホール王国上層部の面々、高官は少なからず驚かされる羽目になった。
更に言えば、商人として数年に渡って上里大尉は活動しており、その間にいわゆる小耳に挟んでいる情報もそれなりに有るので、ジョホール王国の高官の個人情報までも全く知らない訳ではない。
こうしたことから。
「いや、よくご存じですな。更に言わせてもらうならば、アチェ王国を屈服させ、日本の属国とすることで、マラッカ海峡の安寧を図ろう、と日本がするとは。アチェ王国など滅ぼしてしまえ、という強硬論が絶無という訳では無いですし、逆に我々と縁の深い(フィリピンのミンダナオ島の)マギンダナオ王国が、日本の前に属国化させられたことから、日本と手を組む等はトンデモナイという意見の者もおります。そうは言っても、我々の最大の悲願が、マラッカ奪還であり、またマラッカ海峡を通る通商路の繁栄であることは自明の理と言ってよい」
時のジョホール王国の国王、アラウッディン・リアヤト・シャー2世は、半ば小沢提督を差し置いて、上里大尉と事実上の会話を交わした。
(この辺り、小沢提督がこの頃の東南アジアの正確な情勢に疎かったことから、上里大尉に詳細な現地情報に基づく会話、交渉をかなりの面で委ねていた、というのもある。
幾ら小沢提督が有能とはいえ、この頃の東南アジア諸国の上層部の詳細までは把握していなかったのだ)
「更にこれだけの強大な艦隊と将兵が投入されるとは。よろしいでしょう。マラッカが我々のものになるのと引き換えに、シンガポールを日本領にすることを認めましょう。また、日本に対する治外法権と関税自主権の放棄も併せて認めましょう」
アラウッディン・リアヤト・シャー2世は、小沢提督と同行してきた日本外務省の面々に対し、条約締結を確約した。
だが、これは皇軍に入れ知恵された日本の罠だった。
治外法権はともかく、関税自主権の放棄は、後々、日本の経済的進出(侵略)の多大な武器になる。
アラウッディン・リアヤト・シャー2世は、その辺りの脅威をよく分かってはいなかった。
治外法権は、ある程度は止むを得ない話と言えた。
この当時のジョホール王国は、イスラム教を受容しており、イスラム法が国内のかなりの部分で通用していたのだ。
だから、異教徒の日本人は、イスラム法に触れる危険が高く、保護の為に治外法権が必要だった。
だが、関税自主権は別である。
関税自主権が無いと、自国産業を十分に庇護できず、産業育成が困難な事態が多発する。
明治の日本は、そのことで多大な苦労を強いられた。
それを皇軍の面々に教わったこの世界の日本は、それを逆用することで海外進出に活用することにしたのだ。
上里大尉の観点では分かる筈もないので、作中では触れませんでしたが、相手国が関税自主権を放棄することによって日本が利益を得ることで、日本の海外への進出が迅速に進むと言うのも裏であります。
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