第53章―9
1590年10月初め、織田信長夫妻は小督や永子、宇喜多秀家を連れて、総勢20名程で大坂港からまずはエジプトのアレクサンドリア、更にはローマを目指そうとしていた。
そして、その旅行団の執事役をやる羽目になったのが誰かというと。
「父上から付いていけ、いい勉強になるからとも言われたから、結果的に付いていくようなことになったとはいえ、これは色々と大変そうだな」
池田輝政は内心でぼやいた。
尚、父の池田恒興は、織田信長の落選直後の労農党の新党首選びの際に、自分が新党首になろうとして木下小一郎と徹底的に争ったのが仇となり、1586年の衆議院総選挙で労農党の公認を外され、無所属で出馬したものの落選してしまい、政界から引退する羽目になっている。
(木下小一郎と争った際、池田恒興としては織田信長は乳兄弟である自分に味方すると踏んでいたのだが、信長としては恒興は党首に向かぬ人物だと見ていたので、木下小一郎に味方したのだ。
そのために一時、信長と恒興の仲は悪化したが、恒興が政界を引退したことから関係が修復された。
尚、この関係修復には、恒興の実母で信長の乳母の大御ちが奔走した)
そして、池田輝政は現在、労農党職員になっていた。
将来的はかつての父の尾張の地盤を引き継いで衆議院議員になることを輝政は考えていて、地元回りもそれなりにしつつあったのだが、父から声を掛けられて、執事役としてこの世界一周旅行に付いていくことになったのだ。
(尚、党職員の方は長期休職扱いとなっている)
「織田信長夫妻はいい人なのを知ってはいるし、宇喜多秀家はこの状況から借りてきた猫みたいだし、永子はそれなりに大人しそうだが、もう一人が問題だ」
池田輝政は口には出さずに頭を痛めた。
小督は極めて気が強いし、それなりどころではない地位の持ち主だ。
勿論、信長夫妻を介して注意すれば全く問題ないかもしれないが、自分としては小督は神経を使う相手としか言いようが無かった。
「精一杯頑張るしかないか」
最終的にはそう呟くしか、輝政には他に方法が無かった。
そんな風に池田輝政は頭を痛めていたが、その陰では、織田信長夫妻は自ら世界各地で自分達が重要と考える相手に面会等の約束を取り付けていた。
「お市は夫の長政と共にアレクサンドリアで自分達と逢うとのことだ。その際には前田利家らも一緒にいるという」
「何で前田利家が」
「万が一の際の止め役とのことだ。全く昔のことをお市も持ち出すものだ」
信長と美子は語り合った。
美子は思った。
エジプト独立戦争の際に、夫がお市を日本に連れて帰ろうとして大喧嘩に発展し、前田利家夫妻が間に入って何とか止めたと聞いた覚えがある。
義妹のお市にしてみれば、あのことが未だに頭から離れないのだろう。
それこそ兄妹間のことなので、私は放っておくしかないけど。
「私の方は弟の上里勝利と連絡を取りました。ローマに赴いた際に女帝エウドキヤとも秘密面談の都合をつける、と勝利は言ってきています」
「それは重畳。ローマ帝国にしても宇宙ロケット技術に全く興味がない訳ではあるまい。上手く話を振れば、ローマ帝国も一口乗ってくるだろう」
「ローマ帝国にもロケットのために金を出させる訳ですか」
「大型事業に金を使わせれば、戦争をする余裕、金も減るだろう。ローマ帝国の為にヨーロッパやアジア、アフリカで大戦争が起きる可能性を少しでも減らさないとな」
「確かにその通りですね」
織田信長夫妻の会話は更に続いた。
どこまで上手く行くかは分からないけど、宇宙ロケット事業は今のところは道楽だ。
将来的には気象衛星や通信衛星を打ち上げるにしても、黒字になるのは遥かな未来で、本当に金食い虫だ。
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