第53章―1(表向きは)宇宙への夢とそのための技術競争
新章の始まりになります。
「全く忌々しい。キューバ島とバハマ島に日本軍の飛行場があるとは、更にそこに大型爆撃機を配備する可能性があるとは。それこそ北米共和国に対する重大な脅威だ」
「全くですな」
北米共和国の首都ワシントンにおいて、1590年夏のある日、徳川家康大統領と本多正信首相は会話を交わしていた。
北米共和国の首都をどこにするか。
建国の初期において、かなり揉めることになった。
それは北米共和国の国の中心を将来的にどこに置くのか、ということにもかなりの面で通じる問題になるからである。
それこそ甲論乙駁の大論争が行われた後、北米共和国の大工業地帯が五大湖周辺に築かれつつあること、カリフォルニアやカリブ諸島が日本領であることから、そこからの日本軍の脅威を考慮する必要があること等から、最終的に北大西洋沿岸に近いワシントンが首都として選ばれた。
(後、これは密やかに少しずつ漏れ出していた皇軍知識の情報から、皇軍がいた世界のアメリカ合衆国のように、北米共和国も何れは発展したいという願いも込められていた)
だが、そこまでの配慮をしたうえで定められた北米共和国の首都だが、お互いの航空技術の進捗によって、決して航空機の脅威からは安住できなくなりつつあった。
何しろ戦闘航続半径1000キロ前後で、四発エンジンを搭載した大型爆撃機を日本は開発試作済みとの情報が北米共和国に飛び込んできたのだ。
開発試作済みということは、いざという際には量産可能だろう。
更には戦闘航続半径2000キロをも目指しているという。
北米共和国の軍事関係者の多くの者から、すぐには無理だろうが、現在の航空技術の進捗状況からして10年以内にはそういった大型爆撃機が日本では量産可能になるのでは、と推測されている。
そうなった場合、ワシントンはそうした日本の大型爆撃機の空襲の危険にさらされる。
勿論、こういった日本の大型爆撃機に対して、戦闘機や対空高射砲を配備することで対処することが、北米共和国にとって不可能という訳ではない。
だが、問題は日本は北米共和国を一方的に空襲できるのに対して、北米共和国側は日本本土に一矢報いるというより、一発も反撃できないことだった。
何しろ北米共和国から日本本土までには、太平洋という大きな壁がある。
その壁を越えて、北米共和国を出撃した大型爆撃機が日本本土を攻撃する等、それこそ生還を全く期さない片道攻撃を加えることさえ、幾ら頑張っても10年以内には不可能と考えられている。
実際問題として、これは北米共和国の安全保障上の大問題だった。
「正信、何らかの方策はないか。いざという場合に、こちらの首都は一方的に空襲を受け続け、日本の首都には一発の爆弾も降らせることができない、というのでは国民の士気も上がるまい」
「確かにその通りですな」
本多正信は、徳川家康の問いかけにそう答えながら考え込んだ。
どう考えても北米共和国から日本本土への航空機による空襲は無理筋だ。
更に言えば、日本本土の近くに北米共和国の同盟国を作って、そこに北米共和国の軍事施設、具体的には飛行場を整備して、というのもかなり難しい。
明帝国や李氏朝鮮と、日本は非友好関係にあるから、北米共和国の同盟国に引き入れることが全く不可能とは言わないが、あの両国は完全に今の世界情勢を分かっておらず、鎖国していると言っても全く過言ではない。
東南アジア諸国は、シャム王国とマラッカ王国を筆頭にして、ほぼ全てが日本の同盟国にあると言ってよく、更に仏教徒やイスラム教スンニ派信徒の多くが、現状の日本に好意的な宗教的背景もあるので、切り崩すのは困難だ。
本多正信は、どうすればよいのか、考えに沈みこんだ。
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