第52章―14
「もっとも大砲とかの大物になってくると、今のところは日本からの輸入品になるな。後数年が経てば、屑鉄とかをオスマン帝国が輸入した上での自国製造が可能になるだろうが、今はまだ無理だ。更には戦車とかになると、完全に輸入品だ。そもそもそれを整備運用しようにも、自動車さえ軍隊に入るまで見た事が無いという面々ばかりだからな。戦車部隊を1個実験中隊の形で取り敢えずは編制したが、その運用のための整備員を揃えるのさえ、一騒動になった」
上里清陸軍少佐は、少し気分を変えるためもあって、話を変えた。
その言葉を聞いた上里丈二海軍大尉は、眉根を寄せて言った。
「そんな状態で、ローマ帝国の戦車部隊に、オスマン帝国陸軍は対処できるのか」
「実際問題として、戦車と戦うのに戦車が最高というのは事実だが、必ずしも戦車でないと戦車と戦えない訳ではない。取り敢えずは対戦車銃を整備して1個歩兵中隊に最低2挺、又、37ミリ対戦車砲中隊1個を1個歩兵連隊毎に整備していくつもりだ」
弟の問いかけに、兄は答えた。
実際問題として、ローマ帝国の戦車部隊が保有している戦車は、この当時は最大でも15トン以下の戦車に過ぎず、史実で言うところの豆戦車や軽戦車を保有している戦車部隊に過ぎないと言っても過言ではなかった。
これは(この時代の)道路事情や実際にローマ帝国の戦車部隊が仮想敵としているオスマン帝国陸軍や神聖ローマ(ドイツ)帝国陸軍が戦車部隊を保有していない以上、それこそ史実で第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の、いわゆる戦間期において各列強国が植民地警備等の為に、豆戦車や軽戦車を軍事費の有効活用の観点等から積極的に整備したように、ローマ帝国の戦車部隊も、結果的にだが、ほぼ似たような観点で整備されたという事情から起きた事だった。
だからこそ、反問的な答えになるが、オスマン帝国陸軍にしても戦車部隊によってローマ帝国の戦車部隊に対抗するという事態を引き起こさずに済んでいた。
それこそ史実の豆戦車や軽戦車ならば、37ミリ対戦車砲でも十分に対抗できるし、又、対戦車銃も豆戦車や軽戦車に対しては十二分に役に立つからである。
(それこそいわゆるラッキーヒットに恵まれたというのもあるだろうが、対戦車銃というのは意外と中戦車クラスにも対抗できているという史実がある。
ソ連赤軍はそれこそ第二次世界大戦末期まで対戦車銃を愛用しており、実際に車体重量45トンを誇る独のパンター中戦車を対戦車銃の集中射撃で何度も破壊するという戦果を挙げているのだ。
こうしたことからすれば、最大でも車体重量が15トン以下のローマ帝国の戦車(史実で言えば米国のM3軽戦車や仏国のルノーR40軽戦車とほぼ同等)に対処するには、まずは対戦車銃で対抗すれば良いという考えは至極当然とも言えた)
「そうは言っても、これは当面の時間稼ぎと言われても仕方がない。何しろ日本陸軍自体が、更なる戦車の大型化、重戦車化を本格的に考えて戦車を開発している。そして、北米共和国もそれを察知して、同様の考えから戦車の大型化、重戦車化を推進しようとしている。こうなるとな」
「言わんとすることは分かるよ。ローマ帝国が40サンチ砲搭載の戦艦を保有したことから、日本も40サンチ、46サンチ砲搭載の戦艦に乗り出した。そんな感じで思わぬところにまで及んだ様々な軍拡競争が起こるのは仕方がない話だ」
上里兄弟は、お互いの顔を見つつ、苦笑いをせざるを得なかった。
そんな感じで上里兄弟の会話は行き来しつつ、数時間に亘って(主にオスマン帝国の)軍事課題について、兄弟ということもあり、腹蔵なしの会話を続けるということになった。
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