第52章―10
「ところで、オスマン帝国にとって、最重視している陸軍改革はどうなっているのか。聞かせてもらえないだろうか」
余りにも重苦しい話が兄弟間で続いたこともあり、上里丈二海軍大尉は上里清陸軍少佐に改めて話を振ってきた。
「本当に色々と多岐にわたっているから、そう簡単には言えない。前にも言ったが、例えば、オスマン帝国において徴兵制の採用をするといったら、即座に国民の多くが暴動を起こすのが現実だ。それ位オスマン帝国の国民一般にとって、兵役は縁遠い代物だった。その理由は分かるな」
「分かりたくないけど分かる。それこそイェニチェリが良い例だ。イェニチェリは、元をたどればキリスト教徒からイスラム教徒に改宗して、スルタンに忠誠を誓った面々だった」
「そうだ。そんな感じでスンニ派イスラム教徒の国民一般から兵士を集めるようなことを、オスマン帝国はやっていなかった。それなのに急に国民一般から兵を徴集する徴兵制が上手く行くわけがない。だから、志願兵制をオスマン帝国は基本的に採用するしかなかった」
上里兄弟はそうやり取りした。
更に二人が言外で認めていることがあった。
今のオスマン帝国は、それこそやっと日本からの技術導入によって産業革命を本格的に始動させ始めた段階なのである。
だから農業を始めとする第一次産業が国の基幹産業であり、更に言えば第一次産業が中心の国家の国民は農民がほとんどを占めていて、徴兵制を大規模に施行しては、農民を大量に兵として集めることになり、結果的に農業が破綻して、それこそ国の経済が傾く事態がすぐに生じかねないのだ。
(史実をたどれば、例えば、ローマ共和国が帝国へと移行したのは、市民を徴兵するという徴兵制が国の経済的側面から破断してしまい、傭兵制に移行せざるを得なかったという側面が大きい。
他にも唐帝国が均田制と府兵制を併用していたが、大規模な遠征を行うことが、国家経済的な大問題となった結果、両制度が共に崩壊して、両税法と募兵制の採用に至ったという例等がある)
こうしたことから、オスマン帝国は志願兵制による軍の再建を図らざるを得なかった。
幸か不幸か、オスマン帝国は対ローマ帝国戦争によって広大な領土を失っており、更にその失われた領土から大量の難民がオスマン帝国内に雪崩れ込んでいたという現実があった。
そして、難民の多くが今日の食事にも困窮している現実があった。
更に言えば、彼らを慈善のみで養うこと等は思いも寄らない話になる。
だから、オスマン帝国が志願兵を募ったところ、多くの難民が兵に志願するという事態が起きた。
難民にしてみれば、自分や家族がオスマン帝国の兵に志願することで、オスマン帝国のために役立っているということができる。
オスマン帝国にしても、難民に仕事を与えることができるという一石二鳥の方策だった。
とはいえ、そういった中から一部の優秀な兵については、士官や下士官へと選抜していくこともできるが、大半の兵、大よそだが約8割前後の兵については、数年の兵役後は退役させることになる。
そういった退役兵だが、単に退役させては失業者になるだけということになりかねない。
だから、上里清陸軍少佐は、本意ではなかったが、兵役の間に志願兵には様々な仕事をさせて、手に職を付けさせることを推進せざるを得なかった。
更に道路の建設等といったオスマン帝国内のインフラ整備も、オスマン帝国陸軍の枢要な仕事の一つにせざるを得なかった。
それで、更に様々な経験を積ませることにしたのだ。
軍務に専念させることで、兵としての質を底上げしていくことを図りたかったが、それこそ志願兵の多くが、単に退役させる訳にはいかなかったのだ。
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