第52章―6
1590年現在、シノーベの海軍工廠は一部が稼働状態にあり、乾ドック等が整備されていて、実際に駆逐艦等の建造が行われるようになっていた。
そして、最大1万トン級の大型巡洋艦が何れは建造できるように拡張されつつもあった。
もし、それが完工した暁には日本や北米、ローマに次ぐ第4の巡洋艦建造が可能になる国家に、オスマン帝国はなる予定だった。
(註、イングランドやスペイン等は既に巡洋艦を保有してはいたが、自国で建造してはいなかった。
それこそこれらの国は、駆逐艦級を自国建造する段階で、取りあえずは満足していたのだ。
(これは他にも優先すべき課題が自国にはあるとの判断から来たもので、その判断が決して誤っているとは言い難い。
実際、現実でも大型艦建造を外国に依頼する例は多々あるのだ)
だが、オスマン帝国としては、かつての超大国の意地や(スンニ派)イスラム世界の盟主カリフとしての誇りから、巡洋艦級建造を策したのだ)
もっとも、その駆逐艦の建造にしても設計図等については、日本にまずは依頼して1番艦は日本で建造してもらい、それを視察等した上で、2番艦は枢要な部品等を日本で製造してもらった上で、それをオスマン帝国に送って実際に組み込んで建造を行い、3番艦以降について、ようやく実際に部品から何から製造した上での実艦建造を行わねばならないのが、今のオスマン帝国の現状だった。
オスマン帝国海軍の技術者等は、こういった現実に切歯扼腕する想いをしていたが、それこそほんの5年前のローマ帝国建国時点では、機帆船をようやく自国建造する段階だったオスマン帝国が、1930年代の駆逐艦、史実日本で言えば朝潮級や陽炎級駆逐艦の自国建造を現段階で自力で行おうとすること自体が無理もいい所だった。
だから、日本に対して様々な技術供与を求めて、それを自家薬籠中の物にした上で、改めて実艦を作らざるを得ないという現実が、オスマン帝国にはあったのだ。
そういった状況に海軍がある一方、空軍も似たような状況にオスマン帝国は陥っていた。
オスマン帝国の空軍が保有する全ての軍用機が、日本製だった。
そもそも論から言えば、最新鋭軍艦の自国建造に困難を来している国が、軍用機の自国開発、自国製造等は夢物語と言っても良い。
だから、オスマン帝国空軍は現実を見据えて軍用機については、日本から購入するしかなかった。
(尚、この現実については、日本政府もこれまでの自国の政策が誤っていたと認めざるを得なかった。
それこそローマ帝国建国までは、自国の軍事的優位を維持し続けるために、日本製の最新の武器については基本的に売らないのが、日本の基本的政策であり、実際にそれによって日本の軍事的優位が確立されていたのだ。
だが、北米植民地が独立戦争を起こして、北米共和国を建国して、更に北米共和国の大規模な軍事的協力によって、ローマ帝国が建国された現在、今や日本は自国の同盟国防衛の為に、最新の武器と言えども同盟国に対して売却する等の協力を余り惜しむ訳には行かない事態に陥っていた。
それこそ日本全体がそれに加担していたと言っても間違いではない以上、特に非難合戦が日本国内で起こるようなことにはなってはいないが、そうはいっても日本政府上層部では臍を嚙む人間が多々いるという現実が起きていた)
話がズレすぎたので、上里清と丈二兄弟の話に状況を戻すと。
上里丈二が兄にオスマン帝国海軍の現状について述べた後、兄弟はお互いに把握しているオスマン帝国空軍の現状について話を始めた。
取り敢えず機材等については、日本が提供することになった。
だが、それで終わりという訳には行かないのが実際のところだった。
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