第52章ー5
メタい話になるが、現在のこの世界の最新鋭技術となると史実で言うところの1930年代後半から1940年前後、つまりほぼ皇軍が持参してきた技術ということになる。
だから、航空機もかなり進歩したものが現実に飛行するようになっている。
こうしたことが、戦艦と言えども航空機の脅威を警戒せざるを得ない状況を呼び起こしている。
ローマ帝国の保有する戦艦にしても、建造当初は不要として設置されていなかった対空機関銃を設置し、更には高角砲を搭載するという改装計画が具体化されつつあった。
(少しでも建造費を削る必要から、建造当初からローマ帝国の戦艦に主砲と副砲は搭載されていたが、高角砲は搭載されていなかった。
高角砲が何れ必要になるのはわかってはいたが、後日、(主に財政的)余裕ができてから搭載ということになっていたのだ。
実際、建造当時に航空機を運用できていた国は、日本と北米しかなかったことから言えば、ローマ帝国の考えが間違っていたとは言い難い)
だから、オスマン帝国はローマ帝国の戦艦に対しては、基本的に航空機で対処すれば良いという判断を下したのだ。
勿論、戦艦には戦艦で対抗すべきだという主張が、オスマン帝国海軍内で皆無とは言い難かったが、国家財政等を理由とする現実論の前に封じ込まれたのだ。
又、日本からの戦訓等の提供によって、戦艦と言えども無敵とは言えず、駆逐艦を主体とする水雷戦隊の襲撃や潜水艦による攻撃も可能というのがオスマン帝国海軍上層部で理解されたのも大きかった。
まずは航空優勢を確保し、戦艦に対しては航空機や水雷戦隊、潜水艦で複合的に対処しよう、そのようにオスマン帝国は考えて軍の再編、再装備を進めていた。
そして、現在、そうした海軍再装備の一環として、シノーベはオスマン帝国にとって新たに大規模な海軍工廠を建設する場として選ばれていた。
これまでコンスタンティノープルが、オスマン帝国にとって最大の海軍工廠であったが、ローマ帝国復興によって、それは失われてしまった。
そのためにオスマン帝国はどこに新たな海軍工廠を建設するか、海軍部内で何度も討議を行って、更に上里丈二海軍大尉らの提言も受けて、最終的にシノーベが適地として選ばれることになった。
何故にシノーベをオスマン帝国が選んだかというと、相対的に安全度が高い海港都市であるとの海軍上層部及び政府の判断がもっとも大きかった。
シノーベは(言うまでもないことだが)黒海沿岸に面した海港都市である。
従って、東地中海に面している海港都市が直にローマ帝国海軍の脅威にさらされ、又、ペルシャ湾岸の海港都市がサファヴィー朝ペルシャ海軍の脅威にさらされているのと比較すれば、相対的な安全度は極めて高かった。
又、ローマ帝国空軍がシノーベに空襲を掛けてくる危険性が皆無とは言えなかったが、そうは言ってもそれなり以上に、ローマ帝国との国境から離れている海港都市であり、自国空軍の制空活動で防護できるとの判断も下されたのだ。
そして、上里丈二海軍大尉は表向きは休暇旅行という体で、擬装も兼ねて妻と同行した上で、それとなく海軍工廠の建設状況や警備体制等を自身で確認しに来ていた。
先程、観光の序でに道に迷ったふりをして、海軍工廠の建設地に近寄ったところ、警戒していた憲兵に邪険に追い払われるという経験まで自分はしている。
妻の甘露寺氏は失礼極まりないと怒って、身分等を明かそうとしたが、自分が宥めて引き下がった。
上里丈二海軍大尉にしてみれば、職務熱心で極めてよろしい、としか言いようが無かったが、公家の令嬢として育った妻にしてみれば、憲兵は失礼極まりない態度としか言いようが無かったのだ。
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