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第51章―1 マンダ教徒との邂逅

 最初は軍事関係の話を描くつもりでしたが、描く内に別の方向に奔ったので、軍事関係は第52章で主に描くことにします。

 上里清陸軍少佐は自分のいる現状に、思わず溜息を吐いた。

 少しずつマシになっているとはいえ、オスマン帝国陸軍の改革は本当に大変だ。

 イェニチェリ等を改廃して、近代陸軍の建設を行わねばならない。

 そうしないと、ローマ帝国には勝てない。

 それをオスマン帝国のカリフから末端の庶民までが頭では理解している。


 だが、実際にそれをやるとなると、どうしても色々としがらみが出る。

 だから、自分がオスマン帝国に派遣されたのだ。

 自分ならば、色々な意味でオスマン帝国の要人に顔がきくからだ。

 1590年現在、上里少佐がいるのはオスマン帝国の現在の首都アンカラだった。

 そこで上里少佐はオスマン帝国陸軍の改革指導に当たっている。


 オスマン帝国は、先年に起きた復興したローマ帝国との戦争に大敗したことで、陸軍を始めとする様々な改革の必要性を痛感したことから、同盟国でもある日本に積極的な協力を求めて、様々な国政改革を断行することにした。

 それは政府上層部から国の末端に及ぶと言っても過言ではない代物で、日本から様々な人材を呼び寄せて、政府顧問といった形で指導を仰いだり、又、若手の官僚等を日本に留学させて、日本で勉強させたり、又、日本から技術者等を呼んだり、積極的に企業等を誘致したり、ということで、自国内での産業を振興し、経済を発展させようという試みる等、本当に多岐にわたる改革だった。


 その一つというよりも、最重要課題として挙がったのが、陸軍の改革だった。

 それこそ北米共和国の指導協力によって編制されたローマ帝国陸軍は、それこそ航空機の支援下、戦車等まで投入した1920年代の電撃戦(?)ができるまでの存在になっていたのだ。

 一方、オスマン帝国陸軍は、日本の協力によって武器の改良(例えば、日本との関係を持つ以前は、マスケット銃と槍の組み合わせだった歩兵の装備は、徐々に進歩が進んだ結果、1590年現在では最前線の精鋭部隊等ではボルトアクション式銃が徐々に歩兵の標準装備化しつつあった)は行われていたものの、それに合わせた戦術や部隊編制等が追いついておらず、そういった観点からすれば、余りにも遅れているとしか言いようが無かった。


 その結果が余りにも惨憺たる惨状としか言いようがなく現れたのが、先年のローマ帝国復興戦争であり、オスマン帝国はローマ帝国の攻撃の前に、首都コンスタンティノープルを喪失し、又、エルサレム等までもローマ帝国軍の占領下に置かれ、と「聖地の守護者」たる面子が泥に塗れる事態となった、と言われても仕方のない事態が起きてしまった。

 幸いなことに日本本国政府(というより、織田(三条)美子が中心となる面々)が、積極的にローマ帝国とオスマン帝国の戦争に介入した末に、オスマン帝国はスルタン=カリフ制を採用することとなり、オスマン帝国領の東欧を中心とする大規模な領土喪失のある意味代償として、カリフとなって世界のスンニ派イスラム教徒の頭首と言ってよい立場になり、スンニ派イスラム教徒内の権威は上昇することになったが、そうは言っても軍事的な向上を、オスマン帝国が求められることになったという事実はどうにも否定できなかった。


 だが、そういった改革が重要である程、却ってしがらみが多発して、改革が進まないのは現実からしてよくあることだった。

 そうしたことから、オスマン帝国からの要望もあって、上里少佐がオスマン帝国に陸軍の軍事教官として日本から派遣されることになったのだ。

 上里少佐は、(言うまでもないことだが)織田(三条)美子他のオスマン帝国と関わりの深い身内がいる。

 何かあっても上里少佐なら改革を進められるとオスマン帝国上層部は考えたのだ。

 

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― 新着の感想 ―
[一言]  この章は上里清少佐の軍政改革苦労記になる予感(^皿^;)なんか日本が華々しく覇道を邁進してるのにそれを影支えしてる上里の一族の苦労はエンドレスって感じで苦笑い。そのためか初代の松一さんが楽…
[良い点] >それをオスマン帝国のカリフから末端の庶民までが頭では理解している。 トップから大衆まで改革の必要性をともかくも理解しているだけ偉いと思いますね。少なくとも19世紀後半の清朝、いわんや末…
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