プロローグ
皇軍が祖国に帰還し、京都進撃を果たす直前の情景になります。
近衛命令
「1、師団は、天皇陛下を奉持し、我が国体を回復せんとす。
2、近衛歩兵第三連隊長(本来の原文では、「近三歩長」、以下、同様)は、淀川沿いに前進、逆賊を破砕し、京都へ進軍、天皇陛下の御宸襟を安んじ奉ると共に、皇居、及び京都市街の治安維持に当たるべし。
3、近衛歩兵第四連隊長は、天王山を確保した後、逆賊を破砕し、京都へ進軍、京都市街を除く山城の治安維持に当たると共に、近衛歩兵第三連隊長に協力すべし。
4、近衛歩兵第五連隊長は、後方となる摂津方面の治安維持に当たるべし。
5、近衛砲兵第二連隊長は、主力をもって、近衛歩兵第三連隊に協力し、一部をもって、近衛歩兵第五連隊に協力すべし。
6、上記以外の部隊は、予備として、師団司令部と行動を共にすべし。
7、予は、師団司令部にあり。
近衛師団長 武藤章」
「閣下、各部隊に宛てての打電が完了した、と通信担当からの連絡がありました」
「良し」
作戦参謀の言葉に、武藤章近衛師団長は、顔を綻ばせた後で続けた。
「我々は、近衛なのだ。例え、時代が違おうともな」
「全くです」
師団司令部に集っている参謀達が、相次いで同意の声を挙げた。
「近衛が、天皇陛下の御宸襟を安んじられなくて、何とする?時代が違うが、近衛の名に恥じない行動を執ろうではないか」
「応」
「言うまでもありません。近衛師団の将兵、皆、閣下と同じ想いです」
「うむ、よく言ってくれた」
武藤師団長と、師団司令部の面々は、更なるやり取りをした。
「それにしても、未だに不思議でなりませんな。なんでこんなことになったのでしょう」
近衛師団参謀長である小畑信良大佐が、思わず言った。
「全くだな」
武藤師団長にしても、不思議で納得のいかない話だった。
だが。
「天皇陛下の大御心が、我々を呼んだのだろう、とでも想うしかないだろう。あの場所に遺っていれば、かつての時代に還れたかもしれないが、還れたとは限らん。そして、この時代の天皇陛下をお救いしないという選択肢を、近衛が執れるのか」
いよいよ、京都へ進軍し、天皇陛下の御宸襟を安んじ奉るのだ。
そういった思いもあり、武藤師団長は、半ば割り切ったように言った。
「確かに反論の余地がない正論ですな」
小畑大佐としても、そう言わざるを得ない。
そう、我々は近衛なのだから。
そして、近衛であることを理由として、まずは我々が京都へ進軍し、この時代の天皇陛下の御宸襟を安んじ奉ることになったのだ。
この時代は戦国時代、西暦で言えば1542年、年号で言えば、天文11年になる。
本来の歴史、史実と微妙に違うところがあるのかもしれないが、少なくとも、これまでに我々、皇軍の面々が情報収集に努めた限り、史実と違うようには思えない。
もっとも、既に史実とは違う事態が発生しているのも否定できない。
本来からすれば、大東亜戦争勃発に伴い、マレー、フィリピンの制圧に、我々は当たる筈だったのだが、いきなり、本来の開戦初日に、400年前にいることが(正確に言えば後でだが)分かったのだ。
この後、どうすべきか、連絡が取れた陸海軍の幹部が協議した末、主力は、祖国日本に帰還し、一部は原油等、南方資源を一部、確保する任務に当たることになった。
そして。
主力は、沖縄。南九州へと上陸、その周囲を制圧、島津氏を説得して、御神輿代わりとし、近衛師団を先鋒にして、四国沖を経由して、大阪湾に上陸、更に京都へと海路、進撃している。
いきなり、見知らぬ軍勢が現れては、天皇陛下の御宸襟を煩わせることになる、と考えられたことから、源頼朝の御落胤説がある島津氏を御神輿とすることにしたのだ。
「さて、京都への進撃開始だ」
武藤師団長は隷下の部隊に号令をかけた。
次から第1章で、皇軍の幹部が状況を把握し、最初の行動に移る章になります。
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