序
ある男の話
物心ついた頃から父親の姿を見た事は無かった。
母親の兄にあたる男の家に住み、従兄弟達の手伝いをしながら子供時代を過ごしていた。母親の兄とその息子達は自分の存在が気に食わないのか事ある毎にひどい事をしてきたが、近所の住人は事情を察し優しく接してくれた。特に自分に優しくしてくれたのが年上の従姉だった。文字の読み書きを教えてくれたのもこの従姉だ。
ある時泣きながら家のほど近い所にある大きな川の傍で泣いていると、年上の従姉は自分に寄り添い優しく頭を撫でてくれた。この川の先には海という果てが見えないくらい大きな水たまりがある。それを見れば今辛い事なんて吹き飛んでしまうよと、そんな事を話してくれた。当時はそんな事言われても信じられなかったし辛い事なんて吹き飛ぶ事なんてありえないと思っていた。
少し体が大きくなりどうにか馬を操れるようになってきた頃、一番大きな従兄弟に付き添い海の近くまで使いに出る事になった。初めて見る海はとんでもなかった。果てから朝日が昇ってくる風景は一生記憶に残ると確信していたし、優しい従姉の話は本当だったのだと感心した。
さらに体は大きくなり馬に乗って遠出ができるようになった頃村に疱瘡が流行った。中でも症状が重い連中は川の向こうの集落へ隔離され、我が家からは2番目に大きい従兄弟が病にかかった。食事を運ぶのは自分の仕事となったが、こまめに川で身を清めていた為か自分が発病することはなかった。残念ながら1月が経過した頃には隔離した人々は皆息絶え村は悲しみに包まれた。従姉の悲しみも大きかったが、あれやこれやと慰めていると次第に笑顔が戻っていった。
半年も過ぎた冬、従姉と結ばれた。自分にとって当然の成り行きだったが、従姉の腹が大きくなって来たことに気付いた母の兄は大激怒。雪解けを待たずに母親と共に家を追い出されてしまった。涙ぐむ母親を目にし自分のした事の重大さに気付いた時にはすべてが遅かった。
母親は伝手を求め川の上流に向かい、数日後に辿り着いた所は山の麓の小さな村だった。幸い自分は馬に乗ることが出来たため街道の村との荷のやりとりを手伝う事が出来、母親は農作業の手伝いをすることで滞在を許された。半年程度の時間が過ぎようやく生活が落ち着いて来た頃、夜空に彗星が現れた。関係があるかどうかは分からないが、その時自分は高熱を出し伏せていた。生死の境を彷徨いながらも何とか回復した時には視力がかなり奪われていた。左右で目の見え方が違っていた為、右目に眼帯をつける事になった。
数日後、子を連れた従姉が小屋を訪ねてきた。自分の無事を確認すると涙を流して喜んでくれ「ここに住む」と宣言した。母親は難しい表情こそしていたが孫が可愛かったのか同居を認めた。その夜、母親から自分の出生の秘密を打ち明けられた。自分は知らないのだが父親は名の知れた武士なのだそうだ。西の方の島で悪さをし処刑される寸前で仲間の手引きで逃げ出すことが出来た。各地を転々としている中で母親の住んでいた家で1年以上も身を隠していた事もあり、その時の縁で自分が生まれる事となった。追手がかかりその家を飛び出してからは二度と姿を見せる事がなかったと。捕まったのかもしれないと暗い顔をする母親からこれ以上の事を聞き出すのは酷と思い話を打ち切った。失敗だった。一月後、母親は高熱を出し倒れそのまま帰らぬ人となってしまった。
子供はすくすくと育った。出身地から名前を阿波丸と名付けた。他の子供より成長が早く、10歳を超えた頃には馬を操る事ができるようになっていた。村の男たちからも弓を習い、筋が良いと褒められもした。鳶が鷹を生むとはこの事かと鼻が高い。
やがて村の男たちも街道の村の座に加わり交易で発展し、それなりに不自由なく暮らせるようになった頃商人の一行が訪ねてきた。奥州と京の間を行き来しながら商いをしているというその商人は、息子の噂を聞きつけ一行に加わらないかと提案をしてきた。訝しむ自分を見て、ならば1月だけ息子を貸してくれと言いながら砂金の入った袋を取り出した。息子は興味を示し乗り気になった為、1年という事で了承した。
息子が北へと旅立った後、妻と2人で子供の自立を実感していた。なら里帰りしてみようかしらと妻が言い出した。今の自分は村をすぐには離れる事ができない立場だったため、若い衆を2人付け妻を実家へと送り出した。
間が悪いとはこういう事か。京で戦があったとの知らせが村へと入った。戦自体は終わっているのだが、東国まで落人狩りが行われているそうだ。そんな遠い所とこの村は関係が無いと思っていたのだが、逃げた武士の名を聞き冷汗が出た。落人になっているのは自分の父親と同じ一族だった。この村の一部の男達には自分の出生の秘密を打ち明けていたのだが、それがどこまで漏れているのか判らなかった。とは言っても自分の噂はそんなに広まってはいないだろうと考えていた時に、この国に武家の一行が着任したとの続報が入った。村の男達の提案でひとまず身を隠すことになり、息子と妻への伝言を残し川の上流にある山の中へと逃れた。山の中には木を刈る者たちの小屋があるはずなのたが、分け入ってもどこにもない。視力の弱い自分が慣れない山歩きをしたのが祟ったのか、足を踏み外し斜面を転がり落ちた。
気付けば見知らぬ山小屋の中にいた。足の骨は折れていたが、小屋の主である無口な大男(蝦夷の民だろうか?)が助けてくれだようだった。しばらく山小屋で養生し、歩けるようになるまで回復したのは良かったが、今度は山は雪で覆われていた。それでも歩けるならば自分が無事だとどうにか伝えたい。男に山を下りたいと願い出ると、言葉も発さずある方向を指さす。礼は必ず返すと言い残し示された方へ向かうものの、やはり体は本調子ではなかった。川辺の岩場で足を滑らせ、体は水の中へと落ちていった。
目を覚ますと隣に見知らぬ裸の女が身を寄せていた。自分も裸になっており、どうやらこの女は冷えた体を温めてくれたのだと気付く。本来ならば感謝すべき所なのだが、何を気が狂ったのか自分は女を襲ってしまった。事が終わった後しばらくしてから自分たちが居た小屋に見知らぬ男がやってくる。状況を察した男は大勢の仲間を呼び出し自分を袋叩きにして近所の寺へと突き出した。
その後自分は寺預かりとなり何処かへと連れ出された。大きな山寺に放り込まれ数日監禁されたのち、この寺で小間使い・・・いや、奴隷のような生活を送る事になった。
幾つかの季節が過ぎた。
自分へ面会があると呼び出された先にあの時の女と共に一人の子供が、いた。




