友人からのアドバイス -バネッサ-
いつもなら綺麗な封筒に入った手紙だけなのに、今日は違っていた。
小さな小包が届けられたのだ。
友人からの届け物なので、変なものが入っているわけではないのだとは思う。そう思うが、少し小さめの小包に何が入っているのかわからない。
「誰からなの?」
お母さまがいつまでも包みを開けないわたしを不思議に思ったのか、声をかけてきた。年を重ねても美しさを保っているお母さまの瞳は好奇心でキラキラしている。
「勇者パーティーの一人だった友人から届いたの」
「勇者パーティー? マカロンのレシピを譲ってくれた方?」
「そうよ。いつもは手紙だけなんだけど……」
定期的に送るようになった手紙には、人には相談できない恥ずかしいことばかり書いている。例えばレスターにどういう風に話したらいいのかとか、距離はどれくらい近づいていいのかとか。淑女としたらたとえ婚約者であっても結婚するまではそれなりの距離が必要なのだけど。
わたしは殿下と男爵令嬢の二人を見て少し羨ましく思ったのだ。結婚する前から人目を気にせずに仲睦まじくできることを。二人の空気はとても柔らかくて、キラキラしていた。それにわたしの両親もいつも人目を憚らずにいちゃいちゃしている。やはり心通じた相手と結婚するのは幸せに見える。
「開けてみなさいな。変なものは入っていないでしょうから」
「もう。お母さまが見てみたいだけでしょう?」
「うふふ。だって、彼の考えることってちょっと人と違うからとても気になるの」
確かにそうだ。彼の着ていた上着は女性用に作り替えたらとても人気になった。女性のドレスは基本一枚できるのだが、あの上着を少し作り替えれば、ドレスの上に重ねるだけで違ったドレスに見えるのだ。暑い時期には軽くて薄い生地を使い、寒い時期になったら厚手の暖かな素材を使うつもりだ。マカロンも庶民の食べるお菓子に近いけれども、少し作り方を変えるだけでとてもおしゃれで可愛らしくなった。
想像以上の利益にグレンハーツに追加の報酬を提示たが彼は受け取らなかった。今の金額で十分だからと笑っていた。彼の世界は孤児院の中のようで、孤児院の少女たちがのびのびと暮らしていけるだけのお金で十分だとも言っていた。
母親が期待を寄せるのも当然だ。
「あら?」
小さな小包から出てきたのは、綺麗な瓶だった。コロンとしたフォルムで繊細で美しい花の絵が描かれている。少し小さめであるが、手の込んだ造りだ。
「初めて見る瓶だわ」
お母さまも覗き込みじっと観察していた。その目はふわふわ侯爵夫人ではなくなっている。新しい流行になるのではないかときっと考えているに違いない。
「きっと彼の魔法で作ったのよ」
「魔法使いだったわね」
「ええ。刺繍も魔法ですると言っていたからこれもきっと魔法を使ったのよ」
お母さまは驚いたような顔をしたが、すぐになるほどと頷いた。
「このようなことができるのは魔法があるからなのね」
わたしはお母さまの言葉を聞きながら、小包をテーブルに置き、一緒に入っていた手紙を広げる。
彼の流麗な文字はともすれば女性のような字なのだ。顔を合わせていなかったら、女性か、もしくはとても繊細な美貌を持つ青年かと思うだろう。彼の愛嬌のある顔を思い出し、自然と口元がほころぶ。
長い手紙ではなかった。ないけれど、内容を読むに従って顔が徐々に熱を持った。恥ずかしくて、俯いてしまった。
「何が書いてあったの?」
「え、あの。なんでもないわ!」
慌ててお母さまから手紙を遠ざけようとしたが、お母さまの方が早かった。抜き取った手紙に視線を落としてさっと読む。
「あらあら」
「あううう」
お母さまに彼に相談していた内容を知られて、顔を両手で覆った。自分でも耳まで赤くなっていると思うけれども、顔を見せることができない。
「バネッサったら、レスターが今でも妹としてあなたと接していると思っているの?」
「だって」
「仕方がない子ね。レスターもいつまでたってもヘタレなんだから」
ちらりとお母さまを見れば、ふうっとため息を付いて、頬に手を当てている。
「レスターはわたしが殿下と婚約していた時と態度が変わらないんですもの」
「そうかしら? あんなにも熱い目で見つめられているのに?」
揶揄うようなお母さまの言葉に恥ずかしさがふっと遠のいた。
「そんなことない。レスターはいつだって一歩引いた位置に立っているわ。エスコートする時も手を握ってくれるけどそれだけだわ」
殿下との婚約が白紙になり、新しい婚約者としてレスターが認められた。時間はたいしてかからなかった。殿下と男爵令嬢の醜聞は日を追うごとに広がっており、すでに握りつぶせなくなってしまったのだ。
婚約白紙の際に、国王に謝られたほどだ。非公式であったが、とても驚いてしまった。お父さまなんてわたしの評判に傷がついたと、とてつもなく怒っていた。賠償の話も少し揉めたようだが、わたしには教えてもらえなかった。
「それで意識してもらえるようにするにはどうしたらいいかと相談したわけね」
「ええ」
声が小さくなってしまった。彼の返事にはそのアドバイスが書いてあるのだから今更なのだが、恥ずかしい。
「ちょっと蓋を開けてみていいかしら?」
わたしが頷くと、お母さまは小包の中にあった瓶を取り出した。色々な角度から瓶を眺め、その後ゆっくりと蓋を開ける。
「あら」
ふわりと漂ったのは、甘すぎない爽やかな上品な香りだ。今まで使ったことのない香り。
「いい匂い」
「この香水はとてもいいわね」
お母さまがそっとわたしの手を取ると、手首に少しだけ蓋の内側についた香水をつけた。
「手首?」
「そのように書いてあるわ。普通女性はドレスの上から振りかけるけど……どうやら彼はそう思っていないみたいね」
お母さまに言われてもう一度読み返せば、つける場所は手首とうなじだと書いてある。お母さまは遠慮なくわたしのうなじにも香水をつけた。
「お母さま!」
驚いたことにお母さまは香水の瓶をテーブルに置くとわたしをふんわりと抱きしめた。慌ててお母さまから離れた。いい年してお母さまに抱きしめてもらうなんて、恥ずかしい。
「なるほどねぇ。これは確かに男心をくすぐるかも」
「どういう事?」
「バネッサ。もう少しでレスターが帰ってくるわ。そうしたら、できる限り近くに立って話してみて」
お母さまはにこにこしながらそう指示する。
「立つだけでいいの?」
「もちろんお帰りなさいのキスをしてもいいわよ?」
わたしはじっと考えた。今まではレスターが距離を取っていると思っていたから、帰ってきたレスターを出迎えてもキスまではしていない。婚約者なら頬にキスするのは問題ないのだ。
「うん、やってみるわ」
ちょっと恥ずかしいけれど、香水を送ってくれたのだ。きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。
******
「おかえりなさい、レスター」
お父さまと仕事先から帰ってきたレスターを出迎えるとそっと彼の側に寄った。レスターは穏やかな笑みを浮かべてただいまと返してくれる。レスターが何かに気が付いたように動きを止めて、わたしをまじまじと見降ろした。
「バネッサ、いつもと香りが違う?」
「うふふ。わかった? もうちょっと屈んで?」
わたしは気が付いてくれたことが嬉しくて、少し前屈みになった彼の頬にちゅっとキスをする。
そっと彼から離れると、彼は体を固まらせていた。やっぱり駄目じゃない。嬉しい顔をしてくれると思っていたので、ちょっと期待外れだった。勇気を出してもダメだと落ち込む。
「あああああああ」
なんだかよくわからない声をあげて、彼は項垂れた。顔は見えないが耳がとても赤くなっている。
あら?
「なんで、そんな甘い香りをさせてキスなんてするかな」
ぶつぶつと呟きながら、レスターはわたしの腰に手を回した。
そして。
ゆっくりと彼の唇が自分のに重なる。少しかさついた唇が合わさり、彼の熱を伝えてきた。驚きに動けずにいたが、彼の宥めるように動く手が優しくて徐々に力が抜けてくる。
「そこまでだよ。どうして親の前でそういうことするかな」
不機嫌そうな声が聞こえて慌てて体を離そうとした。ところがレスターはがっしりとわたしを抱きしめていて離れることができない。
「お父さま」
「僕は十分我慢しましたよ。こんな甘い香りで食べてと言っているのに、何もしないわけにはいかないでしょう」
「食べてなんて露骨に言うな! 私の娘なんだぞ!」
レスターの言葉にお父さまは苦虫を潰したような顔で吠えた。
「あなた、そこまでですよ。それ以上、干渉したら嫌われるわよ」
様子を見ていたお母さまが呆れたようにお父さまを牽制した。お父さまはむっとしたままそっぽを向く。
「少しの期間ぐらい、私だけの娘でいてくれてもいいじゃないか。ようやくあのクソ殿下から解放されたのに。すぐ別の男にかっさられるなんて」
「何を言っているのです。結婚してもあなたの娘であることは変わりませんよ」
なだめる様にぽんぽんと背中を叩くと、お母さまはにこっとわたしに笑いかけた。
「二人とも、ちゃんと気持ちを話し合いなさい」
「でも」
「お父さまは放っておいていいわよ。鬱陶しい」
「鬱陶しいって、なんだ!?」
お父さまがぎょっとしてお母さまに悲鳴を上げるが、引きずられるようにして私室に行ってしまった。残されたわたしとレスターはお互いに顔を見合わせる。目が合うとどちらともなく笑みがこぼれた。
「折角だから少し話そうか」
「ええ。わたしも聞いてもらいたいわ」
「その前に」
レスターはわたしを包み込むようにして抱きしめると再びキスをする。先ほどよりも感情のこもったキスだった。初めての感覚に体中の力が抜ける。
「ただいま」
耳元に囁かれたけど、言葉を返すことはできなかった。ただしがみつくように彼に体を預けた。