悪役令嬢の訪問
手紙が舞い込んできたのは、デートリンデがこの孤児院にやってきて一か月後のことだった。美しい封書には流麗な文字でわたしの名前が書かれている。裏を返せば、バネッサの署名があった。
慌てて封を切ってみれば、こちらを訪問するという内容だった。何度も何度も読み返し、とても嬉しくなる。実は気になっていたのだ。どこかずれた常識を持つデートリンデから目を離すこともできず、王都に行く暇がなかったのだ。もちろん王都に知り合いがいるわけでもないので、情報の入手も厳しい。
「おっさん、にやけて気持ち悪い顔になっているよ?」
「ほっといてちょうだい。嬉しい気持ちなんだから、気持ち悪くても問題ないわ」
レナの言葉を流しつつ、バネッサがここにやってくるなら何か特別なことをしてあげたいと考えを巡らせる。新しいお菓子でも用意しようか。この世界でも簡単に作れる菓子が沢山ある。時間もたっぷりあるので色々と作ってみたのだが、どれもこれも素朴でおいしいのだ。毎日のおやつの時間がとても楽しみになる。
でも折角、バネッサが遠路はるばるやって来てくれるのだから、もっと違ったものを用意したい。
安くて綺麗なら、マカロンがいいかもしれない。あれは本当は簡単なのだ。卵白とアーモンドパウダーと砂糖だ。ポイントはメレンゲの固さと生地が乾燥するまで置いておくこと。それだけだ。色々な果実で色を付けたら可愛いはずだ。
メレンゲ菓子はこちらの世界にもあって、庶民のおやつとしてよく食べられている。この世界の砂糖は森に行けば生えているので簡単に手に入るのだ。高価な品ではない。
不思議でしょう?
森の中に砂糖が生えているなんて。世界が変われば生態系は変わるのよ。でも人間が好む味は大体似ている。
この世界にもある甘いメレンゲ菓子だから抵抗はないはず。うんうんと頷き、台所に向かった。
後ろからは、わたしの行動を読み切っている少女たちが付いてきていたが、気にせずお菓子作りに専念した。どうせ味見係が必要だ。
「これは何?」
不思議そうに皆の後ろについてきてじっとわたしの作るものを見ていたデートリンデがツンツンと焼きあがったマカロンを突っつく。
この一か月でこの孤児院にかなり馴染んだデートリンデだ。他の少女たちとも仲よくやっているようだ。不満と言えば、時折危険な魔法で挑んでくるところぐらいか。屋敷内だから無理だと言っているのに、何度も繰り返してくる。そのたびに落ち込むのだから、本当に面倒くさい。
「冷めるまで触ってはダメよ。形が崩れるわ」
「冷えたらいいのか?」
デートリンデは鼻をひくひくさせた。
「まあ、冷めたらね」
「なら」
デートリンデが魔法を使う。驚きに目を丸くした。
「そうね、そうだったわ。魔法という手があった」
乾燥時間を魔法ですればさらに時間短縮になりそうだと考えながら、再び魔法でメレンゲを作り始めた。
******
「こんにちは」
馬車から降りてきたのは、一人の女性。先に降りてきた男性に手を預け、姿を現した。旅行用のドレスなのか、とてもすっきりとしていた。
「バネッサ」
彼女の名を口にすると、エスコートしている男性がこちらを振り返った。とても不快そうに眉をひそめている。バネッサはぽんぽんと男性の手を預けていない方の手で軽くたたく。
「怒らないで、お兄さま。そう呼んでとお願いしているの」
「お兄さま?」
茫然として二人を見つめた。
銀髪に藍色の瞳、整った顔立ち。
口元は厳しく結ばれ、瞳には不信感が浮かんでいる。隠すつもりもないのかとても冷たい眼差しだ。
もうその視線にぞくぞくする。いや、わたしは変態ではない。このぞくぞくはそういう意味ではない。会えるはずがないと思っていた彼を目の前に震えてしまっただけだ。
「グレンハーツ様、こちらは兄のレスターです。一人でもいいと言ったのだけど、一緒に来てしまったの」
「そう、ですか。初めまして。グレンハーツです」
「レスターだ。妹が世話になった」
渋々といった様子であったが、礼を言ってくる。そういう律義なところは変わらない。そしてバネッサを守ろうとする気持ちが前面に出ていてに妬けてくる。
そうそう、やっぱりバネッサにはレスターだわ。この組み合わせが正しい。
そう思いつつも、胸の奥がつきりとする。なんだろう、不思議な気持ちだ。目の前にいるレスターは同じ姿だけどわたしのレスターではないのに。
「少し相談があってきましたの。これは商談ですわ」
居間に通すと、レナが茶を運ぶ。ここ最近のマナー教育のおかげか、ぎこちないもののそれなりにお茶を出すことができた。お茶の隣にはピンクと白のマカロン。ピンクは果実の色がそのまま綺麗に出たがそのほかの果実ではあまり色が出なかった。仕方がなく、色を付けづに白も出すことにした。
「可愛らしいわ。これ、お菓子ですの?」
商談だと言いながらも、バネッサはお菓子の方に注意を向けてしまう。お皿を手に取り目高さまで持ち上げてまじまじとマカロンを観察している。
「そうよ。卵白とお砂糖でできているの。庶民のおやつね。それをちょっと工夫して焼いてみたの」
「ではいただきます」
疑うことなく口に入れようとするので、慌ててわたしが先に口に入れた。流石に先に食べさせるわけにはいかない。二人に菓子が安全だと示すように自ら食べてみせた。それを確認してから、バネッサは皿をテーブルに置き、一つ手に取った。
「つるんとした表面ですのね。ピンク色は何で出しているのかしら?」
「赤いベリーの実よ。今時期だから沢山手に入ったの。挟んであるクリームもベリーが入っているわ」
そう説明すると、彼女は一口食べた。さくっとした音がする。バネッサは目を丸くした。
「まあ、美味しい。ねえ、お兄さま、食べてみて?」
「甘いものはあまり好まないんだが……」
困ったような顔をしていても、進められれば食べるようだ。仕方がなくマカロンを食べた。
「意外と甘くない」
「ベリーの酸味があるからだと思うわ」
そんなことを話しながら二人は何か相談を始めてしまう。しばらく話し合ってから、ばつが悪そうに私の方を見た。
「ごめんなさい。本当は違う事の商談のつもりだったのだけど……このお菓子もお店で取り扱わせてもらってもいいかしら?」
「もちろんよ」
「では色々と条件をすり合わせましょう」
なんだかバネッサだった時の自分を思い出した。契約に関する知識ならわたしも負けずにある。レシピを提供するのなら、それなりの契約内容を考えなければならない。
「お兄さま、契約内容を検討してくださらない?」
「ああ、いいぞ。お前はどうするんだ?」
「もちろんグレンハーツ様とおしゃべりして待っているわ」
レスターは肩をすくめると、静かに考えることができる場所を貸してくれと言ってきた。わたしはレナに客間を案内させた。
「レナ、余ったお菓子、みんなで食べていいわよ」
戻ってきたレナに告げれば、彼女は嬉しそうに台所へと向かった。
「さて、話したいことがあるんでしょう?」
「本当はね、お兄さまは来ない予定だったから、ゆっくり話せると思っていたのよ」
ため息を付きながらもどこか嬉しそうだ。
「貴女にお兄さまがいるなんて知らなかったわ」
「血のつながりはないの。元々、お兄さまはわたしの婚約者として侯爵家に引き取られてきたから」
「はあ?」
なんってこったい。
想像すらしていなかった事情に唖然とする。
「お兄さまとはまた従兄妹の関係よ。わたし、一人娘だから、一族の中で年回りの会う彼が引き取られてきたの。将来の侯爵としてね」
「何があって、兄になってしまったの?」
「殿下がわたしと結婚したいと言い出したのよ。それでお兄さまとは婚約白紙にして、お兄さまは侯爵家の養子に、わたしは殿下の婚約者になったというわけ」
仕方がないと言うように肩をすくめた。
「ひどい話ね」
「王家からの申し出ですもの。でも、最近の殿下の様子からわたしとは結婚したくないようだから、婚約白紙に向けて調整中よ」
その言葉を聞いてほっと息をつく。
「婚約白紙になったら、レスターと結婚するのね」
「ええ。そうなるでしょうね」
そう言いながらもどこか憂鬱そうだ。彼女の態度が不思議で思わず聞いてしまった。
「嫌なの?」
「嫌だなんて……そんなことはないわ。わたし、お兄さまが大好きですもの」
微妙なニュアンスにますます首をかしげる。違和感を感じてじっと彼女を見つめた。バネッサは気まずそうに俯いた。
「こんなことは他の方に言えないのだけど……わたし、殿下と男爵令嬢を見て、色々思うこともあるけど、愛し合っている二人ってとてもいいなと思ったの」
「そうね」
「わたし、お兄さま、レスターをずっと愛しているの。殿下と婚約してその気持ちは消さなくては思っていたけど結婚できることになりそうで」
何を思い悩んでいるのかなんとなく分かった。
「ねえ、レスターだってあなたのことをきっと女性として愛しているわよ。でもお互いに感情を殺すことに慣れてしまっているでしょう? 少しづつ、兄妹から婚約者として距離を縮めて行ったらどうかしら?」
「わたしにできるかしら?」
「もちろん」
「手紙で相談してもいい?」
バネッサはちょっと恥ずかしそうに頬を染めた。どうやら誰かに相談したくてたまらないようだ。わたしは笑顔で頷いた。
「わたしでよかったら、いくらでも送ってちょうだい」
「ありがとう。本当に不思議。グランハーツ様とはほんの少ししか話していないのに、安心できる何かがあるの」
「そうね、わたしもとても親しい人のように感じるわ」
くすくすと笑いながら、レスターが戻ってくるまで二人して色々な話をした。