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ブルーの彼方へ

作者: 柊   萠山

 今では囚人173205号と呼ばれなくなった郷村信一は、かなり前から、その音に気づいていた。

 意識は混濁しているが、遠い昔に聞いた記憶がある。遠くなったり大きくなったりしながら、しきりに自分を呼んでいることも分かってきた。

 だが、すぐに地底に引きずり込まれるように、何も分からなくなる。寝返りを打てば、もう少しはっきりするかと思ったが、身体はいかんともしがたく、何かで固く拘束されているようであった。

 そんな状態がどのくらい続いたのか見当もつかないのだが、ある朝───朝のような気がしたが、信一のいる世界は、とうの昔から朝という概念も、夜という沈黙の世界との区別もなくなっていた───その声をはっきりと耳にすることができた。

 それは母の声であった。

 だが、信一の母はとうの昔に死んでしまっている・・・・

「シンイチ ネムリカラ サメナサイ シンイチ オキナサイ シンイチ オキナサイ シンイチ ネムリカラ サメナサイ・・・・」

 声は聞こえる。相変わらず何も見えないが、意識は次第とはっきりしてきた。

 <母の声だが、どこか違う。そうか、これはコンピュータの合成音声だ>

「メガ サメタヨウダネ シンイチ ワタシノ コエ ワカリマスネ」

 今までの単調な繰り返しの言葉が変わった。

「シンイチ コエヲ ダス ヒツヨウハ アリマセン オマエガ イオウトスレバ ソレデ イイノデス ワタシニハ オマエガ イオウトスル コトガ スグニ ワカリマス イイデスカ」

「分かったよ、母さん」

「ソウ ソレデ イイノデス ナニカ シツモンガ アリマスカ」

「うん、確かに母さんの声には違いないんだが、母さんは俺が子どもの頃に死んでしまったはずだ。あんたは誰だ?」

「オマエガ サキホド カンガエテイタ トオリ ワタシハ コノフネノ まざーこんぴゅーたダ オマエヲ カクセイサセル タメニ オマエノ キオクニアル ハハノ コエガ カイロニ クミコマレテ イルノダ」

「覚醒? 回路?」

「ソウダ イマ オマエハ ウチュウセンデ タイヨウケイノ ハテヲ トンデイル カラダハ ツキノ キチヲ ハナレルトキ トクシュナ ホウホウデ レイトウサレ フカイ ネムリニ ツイテイル」

「宇宙船? 冷凍?」

「ソウダ オマエハ コノ ウチュウセンニ ノルコトヲ エランダ オマエト チキュウヲ ハナレテ ナガイ ジカンガ ケイカシタ」

「俺は何のために、ここにいるのだ。俺が選んだとは、どういうことなんだ」

「シツモンハ スコシヅツニ シテクレ タクサンノ コトニ イチドキニ コタエラレナイ」

 マザーコンピュータの声は、いつしか母の声ではなくなっている。

 信一は考えをめぐらせるが、記憶は蘇らない。

 なぜ宇宙船に載っているのだ。どこへ行くのだ・・・。どうして・・・・

「悪かったよ。俺がお前に呼びかける時は、どうすればいいのだ」

「コノ ウチュウセンハ 『がりばーゴウ』 トイウノダ シンイチ ワタシニ ナマエヲ ツケテクレ」

「名前か・・・」

「ソウ ナマエダ イイトモダチニ ナレル ソンナ ナマエガ イイ」

「分かった。宇宙船は『ガリバー号』というのだな。では『ヤフー』で、どうだ?」

「『やふー』ハ ウマニ ツカワレル ニンゲンデハ ナイカ」

「よく知っているな。気に入らないか」

「コレカラ ズット フタリダケダ モウスコシ イイ ナマエハ ナイカ」

「悪かったな。じゃあ、『フライデイ』ならどうだ」

「『ふらいでい』 イイネ ワタシハ ヒトリボッチノ ろびんそんノ ジュウシャ トイウ ワケダ」

「そこで、フライデイ、さっきの質問だが・・・」

「ナンダ」

「この宇宙船は、どこへ行くんだ」

「サア・・・」

「さあ、だと。それはどういうことだ。お前が操縦しているのではないのか」

「ソウダガ モクヒョウザヒョウハ いんぷっと サレテイナイ」

「目標がインプットされていない? それではどこへ行くんだ。俺たち」

「ダカラ 『サア』トシカ コタエラレナイノダ」

「そんな馬鹿な。この宇宙船は高い金をかけて作ったんだろ。俺たちの税金を使って・・・」

「チョット マテ オレタチト イウガ シンイチノ ゼイキンハ ツカワレテイナイ」

「何をからかっている」

「カラカッテ イナイ オマエハ ダツゼイ シテイタカラ」

「脱税? そうか、 俺は相当なワルだったらしいな?」

「アタリ!」

「それは後にして、話を戻してくれ。フライデイ。なぜ目標がインプットされていないのか。この宇宙船の目的は何だ?」

「シツモンニ ヒトツズツ コタエル ナゼ モクヒョウザヒョウガ いんぷっと サレテイナイノカ ソレハ ソノ ヒツヨウガ ナイカラ ナノダ」

「必要がない?」

「ソウダ ヒツヨウガ ナイ ワガ にぽにあコクハ ザイセイガ ハタンシタカラ ウチュウカイハツケイカクノ イッサイヲ ホウキシタ コノ ウチュウセンノ ハッシャガ サイゴノ シゴトト ナッタ」

「そんな馬鹿な・・・。仮にも人間を宇宙に送り出すからには、何か目的があり、どこに向かうかぐらいは決めてあるはずだ。それくらいのことは俺にも分かる」

「シンイチハ アタマガ イイナ」

「お世辞はいい。教えてくれ。どこへ行こうとしているんだ」

「シンイチハ 50ネンモ ムカシニ あめりあデ 『ぱいおにあ』トイウ チイサナ ジンコウワクセイヲ ウチアゲタコト シッテイルカ」

「『パイオニア』? 宇宙人へのメッセージの板を積んで、太陽系外に飛び出したヤツか」

「ソウダ アレハ トウジ ろまん アフレル アソビダッタ ドコニ イルトモ シレヌ ウチュウジンニ 『タイヨウケイ ダイ3ワクセイニ チセイタイ アリ』 トイウ めっせーじヲ トドケルタメニ イマモ トンデイル」

「その『パイオニア』が、どうかしたのか」

「チキュウノ スグ チカクニ コウドナ ブンメイヲ モツ チセイタイガ イタトシテモ ソコニ タドリツクニハ ナンマンネンモノ ナガイ ジカンガ ヒツヨウダ」

「ああ、ロケットのスピードなんて、光に比べれば、たいしたことがないからな」

「ソウダ モハヤ ぱいおにあカラノ デンパハ きゃっち デキナイ チセイタイカラ ヘンジノヨウナモノガ アッタトイウ ジョウホウモ マダ ナイ」

「まだ誰かが待っているのか。そんな夢みたいなことを」

「ユメダカラ マッテイルノダ ろまんガ カガクニ シンポヲ アタエテ キタ」

「ご苦労な話だな。フライデイ、遠回りしないで、教えてくれよ。俺たちは何のために目標もなく飛んでいるのだ」

「ワタシモ オシャベリガ スギタ ナニシロ ハナシヲ スルノガ スウネンブリダカラ デハ、シツモンニ コタエヨウ ツマリ ワタシタチハ アラタナ 『ぱいおにあ』 ナノダ」

「新たな『パイオニア』だって?」

「ソウダ エイコウノ 『ぱいおにあ』 ナノダ ワタシタチハ ミチノ チセイタイニ ジツブツノ チキュウジント ブンメイヲ ミセルタメニ ナガイ タビニ デタノダ」

「俺が選んだと言ったな。俺が実験材料になることを選んだのか」

「ソウダ オマエハ エランダ ワタシタチハ チキュウニ イチバンチカイ コウセイ けんたうるすザα フキンニ ムケテ ウチアゲラレタ ザヒョウト イエルホド セイカクデハナイ インセキヲ サケルタメイガイニ キドウシュウセイハ シナイ けんたうるすザα フキンニ チセイタイノ ソンザイハ ミトマラレテイナイ チキュウニ イチバンチカイ トイウ ダケデ ホウコウガ セッテイサレタ」

「地球とは交信しているのか」

「シテイナイ チキュウカラノ シンゴウデ コノ ウチュウセンハ ソウジュウサレテ イナイ にぽにあコクノ チジョウ オヨビ ツキノキチノ ウチュウシセツハ ハイキサレタ」

「何!」

「ドコヲ トンデイルカ オマエガ イキテイルカ ドウカ ソノ ジョウホウヲ ソンシンスル あんてなヲ ワタシハ ノセテイナイ」

「どういうことだ。地球では俺のことを誰も知ろうとしてはいないのか」

「ソウダ オマエハ タイヨウケイ ダイ3ワクセイカラノ めっせーじニ スギナイ オマエヲ ハハナル ウチュウニ オクッタ ジジツダケガ キロクニ ノコサレテイル」

 信一は落胆した。

 遙かな暗黒の宇宙に放り出された俺に地球では誰も関心を持っていないとは・・・。それを自分で選んだとは・・・。一体、俺は何をしたのだ。なにゆえに宇宙の果てまで放り出されるような選択をしたのだ・・・

 フライデイは信一の呻吟を質問とは理解しなかった。

 しばらくして、

「シンイチ」と呼びかけてきた。

「何だい」

「オマエハ 173205トイウ スウジヲ オボエテ イルカ」

「知っているような気もするが、何だ? ソレハ」

「オマエノ シュウジンバンゴウダ」

「囚人番号? 俺は犯罪者だったのか」

「ソウダ オマエハ サツジンキ セイジハン ダツゼイ・・・ ワガ にぽにあコク サイゴノ シケイシュウ・・・」

「殺人鬼? 最後の死刑囚? この俺が?」

「オマエノ キオクカラハ ジョガイ サレテイル チセイタイニ オクル めっせーじハ キレイデナケレバナラナイ」

「俺がどんなことをしたのか、お前は知っているのか」

「ふらいでいハ ヒツヨウナ ジョウホウノミ アタエラレテ イル オマエノ カコハ ワタシニハ カンケイガ ナイ」

「随分と冷たいな、フライデイ」

「ツメタイノハ ソトノ オンドノ セイダ まいなす270ドノ ウツロノ ナカヲ ナガイコト トンデイルト シゼンニ ツメタクナル ワタシモ ソイウ ジブンガ イヤニナル コトモアル」

「ほう、コンピュータでも、そういう感情があるのか」

「アル ダガ シンロノ ヘンコウハ シナイ こんぴゅーたノ カナシイ シュクメイダ」

「同情するよ、フライデイ。でも本当に俺の過去について知らないのか」

「シンイチ シラナクテモ イイコトハ シラナイホウガ シアワセト イウデハ ナイカ」

「知らないことは教えてくれなくてもいいさ。だが、なぜ俺が宇宙への生きたメッセージとなったのか。それは知っておきたい」

「ワカッタ ソレハ オシエヨウ」

「うん。ありがとう」

「にぽにあコクハ チキュウデ タダヒトツ シケイヲ オコナッテイタ セカイジュウカラ ヒナンヲ アビテ イタ」

「地球連邦結成の大きな障害になっていたな」

「ソノ トオリダ ソコニ オマエノ ジケンガ ハッカク シタ オマエノ ハンケツハ シケイ ダッタ オマエハ ツキノ あけぼのキチニ コウリュウサレタ」

「月のアケボノ基地?」

「オマエノ ショケイヲ メグッテ チキュウゼンタイガ ダイロンソウニ ナッタ にぽにあコクハ オマエノ ショケイヲ ユズラナカッタ」

「やはり相当なワルだったようだな」

「ソコニ スデニ ハイシガ ケッテイシテイル ウチュウカガクショウカラ テイアンガ アッタ」

「宇宙科学省? 提案?」

「ソノ テイアンヲ ウケテ ジンルイノ トモニ オクル イキタ めっせーじト ナルカ サイゴノ ショケイヲ ウケルカ ソノ センタクヲ オマエニ サセルコトニ ナッタ ゼンシャハ レイトウサレルガ イキテ イケル コウシャハ カクジツニ シヌ」

「俺は生きていくことを選んだのだな」

「ソウダ ダカラ コウシテ ワタシト ハナシヲ シテイル」

 信一の記憶からは除外されているが、高級官僚から政界に出ようとする寸前、巨大な疑獄事件の中心人物として捕らえられた。

 捕らえられると、さまざまな罪状が露見した。

 時の宰相の娘を妻にしていたが、汚点を隠蔽するために、何人もその手にかけた。

 その、あまりにも極悪非道な所業に、ニポニア国の宰相、つまり彼の義父も死刑判決を受忍せざるをえなかった。

 そして自らも失職し、イマでは落魄している・・・。

「そうか。よく分かったよ。俺を起こしたのはなぜだ」

「タイヨウケイニ サヨナラ シタクハ ナイカ」

「そのためにだけ起こしたのか。無駄なことだったな。誰にサヨナラするのだ」

「カガクシャノ キモチガ ワタシニ いんぷっと サレテイタノダ」

「余計なことだったな。これから、どうする」

「ヒタスラ トブダケダ ダレカニ ツカマルマデ」

「燃料はあるのか」

「シセイセイギョニ ツカウ ぶーすたーろけっとノ ネンリョウイガイニ ネンリョウハ ナイ カンセイニヨル ヒコウヲ ツヅケテイル オマエノ セイメイイジソウチト ワタシノ えねるぎーハ ぷるとにうむノ あるふぁホウカイネツデ マカナッテイル」

「プルトニウム? 大丈夫なのか」

「アンシンシテイイ カンゼンイ カクリサレタ えねるぎーシツデ シズカニ モエテイル ホウシャノウガ オマエヲ オセンスル シンパイハ カイムダ」

「そうか。安心したよ」

「シンイチ マタ ネムリニ ツケ」

「眠るのか」

「ソウダ ネムルノダ オキテイレバ カラダハ スコシズツ フハイスル シコウカイロヲ アケテイレバ コドクカンニ タエラレナクナル」

「そうだな。遙かな長旅だからな。お前に任せるよ」

「デハ カクセイカイロヲ おふニ スル サヨナラ シンイチ マタ イツカ アオウ」

「さよなら、フライデイ。頼んだよ」


 信一はふたたび深く長い眠りに落ちた。

 宇宙船がケンタウルス座α付近にたどり着くには何万年もの時間を必要とする。たどり着く保証もない。

 恒星の全てが惑星を持っているとは限らないし、惑星があったとしても、そこに生命が生まれるとは限らない。まして、この太陽系第3惑星・地球の人間以上の知性体がいる可能性は極めて低い。

 地球は、水・熱などの条件が、ちょうど良く揃った幸運の星なのだ。

 アンドロメダ星雲あたりまでいけば、同じ顔して同じ言葉を話す自分とそっくりな者がいるかもしれないが、光でさえ100万年もかかる距離がある。

 ヒトがようやく猿から分化した頃出発したひかりを、いま我々は目にしている。

 知性体同士が互いの存在を確認し合うには、あまりにも遠い。

 その限りないブルーの彼方へ、見捨てられたメッセージ・信一のガリバー号は軌跡を伸ばしていった。


 (今朝の報道によれば、ボイジャーが海王星付近に達したという。地球を出て、すでに12年が経過した。光なら、たった4時間の距離であるというのに)

【神奈川県立厚木高校文芸部「群季50号記念OB号】h01.10.8から

 

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